サイドストーリー

Guardian 05-君主の下へ
僕がここに来てから、二日。
何も食べていない。何も口に入れていない。何かを食べる機会はいくらでもあったのだが、食べる気にならない。ただ考えていた。
誰が僕を密告したのかと。
僕はミスはしていないはずだ。
誰が?何のために?
ここでの生活は思ったよりも静かだった。囚人が喚き立てる気配もなく、誰もが口を開かない。想像の中の牢獄とは違った恐怖を覚える。
夜になっても寝る気にならない。このままでは本当に死んでしまうかも知れない。
それでもいい。もう僕は奴に復讐することができないのだから。管理者部隊となってから幾つものゴミ共の命を奪ってきた。
それが死罪になるというのは馬鹿げた話だが、実際そうなのだから手の打ちようがない。
良くても懲役10年は最低限の刑となるだろう。
終わった。
リオの言葉が思い出される。
『これで終わりだ!』
ああ、終わった。お前には関係のないことだが、終わった。
しかし、今リオのことはどうでもいい。
問題は、密告した奴だ。
そいつを殺したい。
だから、ここから出てそいつを殺すために何とかすべきなのだが、無理だ。
強化人間なら鉄格子を曲げてそこから抜け出すことも可能だろうが、僕は普通人だ。
何もできないというのは死んでいることと同義だ。
今、この状況に陥って初めて思う。
誰か。僕を助けて。

突然鉄格子が叩かれ、疲れたふけ顔が覗いた。警備兵だ。警棒で殴ったらしく、鉄格子が振動して音を立てている。
「何か用ですか?」
とりあえず質問した。
「用もないのに話しかける奴がどこにいる?」
太り気味の警備兵はぶっきらぼうに答えた。
「それもそうですね」
では何の用だ?
「面会だ・・・とびきりの美人だぞ」
警備兵が下品にニヤっとする。
美人?
僕に面識のある人物は思い出せないのだが。
「こんにちは、アルテス」
そういって陰から出てきた女は、確かに美人ではあった。ブロンドの長髪にダークブルーの瞳。高めの鼻は女優のようだ。
だが、その切れ長の目はある種の重圧感を放っている。
やはり、この女と僕は面識がない。
そして、この女は僕の本名を知っている。ホルツとは呼ばず、あえてアルテスと呼んだ。アルテスという名前はこの世から抹消されたはずだ。
「初めまして。あなたは誰ですか?」
おおいに失礼だが言ってみた。
「あら、自己紹介が遅れたわね。私は、ローズ=パルネスといいます。以後お見知り置きを」
ローズ=パルネス。知らない。
「パルネスさんですね。僕に何の用ですか?」
「そうね。それを言う前にやらなきゃいけないことがあるわ」
女はスーツの懐に手を入れ、抜き出した。黒い物が握られていた。
銃だ。
「おい!何をする気だ!」
警備兵が慌てて叫んだ。
「撃つこと以外にどういう使い方があるっていうの?」
女は後ろに向けて銃を撃った。僕の入れられている部屋の丁度向かいの部屋の囚人がもんどり打って倒れた。
その体の下から赤いものが広がってきた。銃声はほとんど聞こえなかった。
サイレンサーを付けている。
この女は素人ではない。的確な背後射撃、躊躇うことなく銃殺。
「貴様ァ!」
警備兵が警棒を振りかぶった。女は表情を崩すことなく体を横に回転させ、警備兵の鳩尾に掌底を叩き込んだ。
当然のように警備兵の腹は陥没し、後方に吹き飛び、気絶した。
いや、気絶どころでなく致命傷だ。口から溢れ出る血液から考えて、内臓破裂は確実だ。放っておけばあと数分で死ぬだろう。
この破壊力。強化人間か。
「・・・静かになったわね」
他の囚人達からはこの場所は陰になっているので僕たちを見ることはできない。
先程の行動からして、この女は向かいにいた囚人と警備兵を殺すことで自分たちの姿を隠したかったのだろう。
つまり、証拠の隠滅。ならばおそらく、このブロックにいる囚人達全員の命はないだろう。
「話が終わったらもっと静かになるわ」
やはり殺す気でいる。
「もう一度聞きます。何の用です?」
女が微笑む。
「・・・簡単よ。私の所属している組織に入らない?」
一応選択肢はあるような言い方だが、断ればこの場で銃殺されることは確実だ。
だが、組織に入ればリオに挑むことは難しくなるか、できなくなる確率がある。
それに、組織に入るということは誰かに付き従うということになる。もしかしたらこの女がヘッドかもしれないのだ。
この野蛮な女に?
僕の心にはいつもあのお方がいらっしゃる。それをこの女に汚されるわけにはいかない。たとえ死を与えられようとも。
「嫌です」
・・・さあ!殺すなら殺せ!どうせこれから僕は一生束縛されて生きるのだ!殺された方がありがたい!
だが、女の言うことは極めて奇想天外だった。
「やっぱりそうくると思ったわ。でも、私はあなたが組織に入らざるを得ない魔法の呪文を知ってるのよ」
言ってみろ。その魔法の呪文とやらを。
「どうぞ言ってみてください」
「オホン。では言わせてもらうわ。・・・『あのお方は、死んでない』・・・。どう?私の呪文の効果は?」
何が呪文だ。その程度の嘘でこの僕を欺くつもりか?あのお方は言ったのだ。
『さよなら』、と。
「効果は・・・ないようですね」
どこの馬鹿か知らないが、こいつは低能だ。失せろ。
「ふうん。じゃあ私があなたと同僚だということも言っておきましょうか」
女の笑みは消えない。
同僚?僕が所属していたものといえばレイヴン養成学校と管理者部隊のみだ。
レイヴン養成学校の同僚だとしても、もう覚えていない。それに、だから何だというのか。
「勘違いしているようね。私は元管理者部隊よ?」
「どこにそんな証拠があるのですか?」
それも嘘だろう?
「あなたは証拠を見ないと気が済まないようね・・・わかった」
女はスーツの袖をまくり上げ、手首を露出させた。そして手に握ったままだった拳銃をその手首に突きつけ、発砲した。
鮮血が噴き出し、床にこぼれ落ちる。真っ赤だった液体は、青く変色した。
それが床の上で文字を象った。
026。
それはすぐに赤色に戻り、文字も崩れた。
「どう?」
女の傷跡は消えている。
「表れた数字は登録ナンバー。手首は『焼き印』された箇所ですね」
「正解。これで私が実働部隊だとわかったでしょ?それに026よ?053のあなたよりも結構な先輩なの。敬語を使いな・・・あ、使ってるわね」
焼き印。それは、正式に管理者部隊に登録された者のみがつけられる。
なぜ焼き印と呼ばれるのかというと、精密レーザーでその箇所を焼き、その上にナノマシンを貼り付けられるからだ。
そのナノマシンはある特殊な機能を持っている。
一つは、その箇所の治癒能力が強化人間をも遙かにしのぐ程大幅に増すこと。先程の女の傷跡が綺麗に修復されていたのはそのためだ。
もう一つは、その箇所を破壊され飛び散った血液が、外気に触れることで変色し、登録ナンバーを象ることだ。
それらによってスパイ対策やお互いの認識ができる。
もちろんそれが管理者部隊の共通する点であることが管理者反対組織側、例えばユニオンに知られるとまずいのは確かだが、
手当たり次第に体を傷つけるなどという乱暴はできない。
どこにナノマシンを貼り付けたかはその本人しか知らないからだ。
管理者部隊というのはほとんどが自由活動で、メンバーが顔を合わすというのは滅多にない。中枢にいなければならないというわけでもない。
だから、僕がこの女、ローズ=パルネスを知らなくてもそれが普通なのだ。
「で、質問よ。管理者を、いや、あのお方を信じていない管理者部隊がいると思う?」
確かに。管理者部隊を続けるのであればあのお方を信じていなければできることではない。管理者部隊とは、あのお方に命を渡すのと同じことなのだ。
しかし。
「管理者部隊を辞めてユニオンに入った人間だっているかも知れないですしね」
「何を言ってるのかしら?管理者部隊を辞めたのならこのナノマシンをほっとくわけないじゃない。腕を失ってでも取り除くわよ」
この答えは予測済みだったが、一応かんぐってみたのだった。
「・・・本当にあのお方が生きているとでも?」
「本当よ・・・っていうか、どっちにしても早くここを出たいでしょ?それに私も急がなきゃまずいしね」
従うか?
それとも逆らうか?
従ったとしても、リオにまた挑戦する機会が訪れるだろうか。
いや。
作る。
僕がリオを殺すのだ。
「・・・一つ聞かせてください」
「何?早くしてよ」
何を焦っているのか。
「なぜ今さら僕を勧誘するのですか?」
「理由は後で話すわ。とりあえず・・・」
ローズはいきなり鉄格子をつかみ、湾曲させ、人一人分は通れる程の穴を作った。
「はあああああっ!」
その隙間から器用にこちら側にやってきて、掛け声と共に勢いよく牢獄の壁を蹴り壊した。
壁だったものが崩れていく中、僕は無数の足音を聞きつけた。
「急げ!」
「何だ今の音は!?」
「捕まえろ!」
警備兵。どうりでローズは急いでいたわけだ。
「行くわよ!」
ローズは足早に駆けて行く。
僕も振り返って壁の穴をくぐり、収容所の外に出た。女の姿はすでに100mは離れていた。
「流石に強化人間ですね・・・」
追いつくのは不可能に近かったが、後ろの警備兵に追いつかれることも不可能だ。僕は走りには少し自信がある。
管理者が生きている?
そんなわけがない。
それを確かめるために、僕は走った。

・・・?
何だ?
先程の瓦礫。掛け声。『行くわよ!』の声。
どれも全く同じ光景を見たことがあるような気がする。
どこで見たんだったか。
思い出せない。

「まだ聞きたいことがあるんですが」
「言ってみなさい」
僕達はあれから、走って収容所のある砂漠地帯を抜け、住宅街まで行き、路地裏に止めてあった乗用車の窓を割り、乗り込んで逃走を続けている。
「僕は収容所の中でずっと考えていたんですが・・・」
「何?」
「密告したのはあなたですか?」
ローズは笑顔を崩さない。
「そうよ」
平然と答えた。
一応脱獄させてもらったのだし、もしもだがあのお方に会わせてもらえるかも知れないのだ。
特に怒りは沸いてこない。あのままリオとの戦闘が続いていたとしても、殺せる確率も死ぬ確率も五分五分だったのだから。
だが、怒りがないわけでもなかった。
「なぜです?なぜ僕の復讐の邪魔をしたのですか?」
「あなた、リオに勝てるなんて思ってたの?それは思い上がりよ。・・・それに、その必要も無くなったわよ」
その必要が無くなるとは、あのお方が生きているということだ。つまり、この女はあのお方は絶対に生きていると言いたいようだ。
それにしても。
思い上がりだと?では、リオにはまだ何かあるというのか?
「もしそれが嘘だとしたらどうしてくれますか?」
「さぁね?・・・だって嘘じゃないんだから」
そうか。あくまでもそうくるか。
「では、嘘だった場合、僕があなたを殺します。いいですよね?なぜならあのお方は生きていらっしゃるのですから?」
「はいはい・・・どうぞお好きなように。ところで我々の組織には入るの?
・・・入らないというのならあのお方に会わせるわけにもいかないし、脱獄させたのもまずかったんだけど」
この女には脅しも通用しないだろう。
ならば、道は一つしかない。
「・・・まずは組織名とあなたの階級を教えていただけませんか?」
「第七階級執行委員会幹部聖銃騎士団団長ローズ=パルネス。
組織名ハンプティ・ダンプティ。H・Dって呼ぶ方が早くて簡単ね」
第七階級というのは相当お偉いさんのようだ。
聖銃騎士?
この組織は信仰でもやってるのか?
「僕が入ったらどんな階級からなんですか?」
「何言ってるの?雑用に決まってるじゃない」
ざ、雑用だと?
「勧誘する程だからそれなりの職に就かせてもらえるのかと思ってましたよ」
「嘘よ。あなたの改造武器やAC操作術は桁外れだわ。
恐らく・・・戦闘部隊の主力隊員か武器開発部のNo.2になることは間違いないわね」
僕のAC技術で主力だと?この組織は思ったより規模が小さいのではないか?
「今H・Dは割と小さな組織だと思ったでしょう?」
この女は人の考えることがわかるのか?
「実は結構人員不足なのよ。でも、私たちが負けることはない。なんたって・・・」
聖なる銃士だから、とでも?
「神様がついてるからね」
・・・やはり、低能のようだ。
しかし憎める奴ではない。それに今のところ僕を殺す気はないようだ。
こういう人物が上官だというのもそれはそれでいいだろう。
ただ。あのお方が生きているということが嘘だった場合。躊躇無く殺す。死で償わせる。
「それはジョークですか?」
一応聞いてみた。
「本当よ?疑ってるの?」
大丈夫なのか?この組織は。
僕はうなだれているが、まだ一つの希望がある。
あのお方が生きている。かも知れない。
疑ってはいるものの、それは一つの小さな灯りとなって僕の胸の隅に置いてある。
盗難車に揺られながら、僕は目を閉じた。
まだ、終わらない。
作者:Mailトンさん