サイドストーリー

Bloody Colored Nail〜血染めの爪〜
『私は遠くで見ていたんだ……フフフ、驚いたよ。
 そこには、もう一人の私がいたのだからな…。』

僕は、車の中にいた。
外は激しい雨で、前がほとんど見えない。
僕らのワゴン車の中は雨の当たる音と、ワイパーの動く機械音で満たされていた。
…雨はまるで、テレビの砂嵐。
ザーザーというけたたましい音が、ただただ連続的に、終わりなく続くだけ…。
車の中には、僕を含めて6人の人間が乗っている。
僕、父、母、兄、妹、祖父。
後部座席にいる僕と、運転している父以外は、みんな遊び疲れて寝ていた。
…今からほんの2,3時間前に、僕らは出発した。
リゾート地から、家へ帰るために。

最近になって地上に建設された、ミラージュ社のリゾート地。
砂浜、プール、アスレチック、遊園地、ホテル内に温泉完備。
そして格安と、その「快楽地」はまさに「楽園」と呼ぶにふさわしいものである。
父はまた金儲けの為か、などと言っていたが、僕にはどうでも良かった。
ただ楽しめればいい。楽しければいい。
子供はそれで十分。下手な事は考えない。
僕はそのリゾートで、めいいっぱい遊ぶ事にした。
この4泊5日。父から貰ったこの期間を、十分に楽しむ為に。

この雨は、そんな日々を簡単に忘れさせてくれた。
けたたましい連続的な雑音。
やかましい断続的な機械音。
前が見えないほどの視界。
今にも異世界に迷い込んでしまいそうな天候。
ドアを開けたら、真っ黒い何かが入ってきて僕らを蝕んでしまいそう…。
そして、突然目の前がピカッと光る。
あまりの光の強さに、父がフロントガラスから目をそらす。
と同時に、誤ってハンドルを左に切ってしまった。
キュルルルルル……!!
タイヤのスリップする大きな音。
急に揺れる車内。
何事かと、全員が目を覚ました瞬間でもあった。
車はバランスを崩し、斜めを向いてしまった。
父は慌ててハンドルを右に切り、体制を立て直そうとする。
助手席に座っている母は、大丈夫?と、父に声をかける。
父は黙っていろと、苛立った声を出した。
こんな状態で、長時間も運転していたのだ。苛立つのも無理はない。
とうとう母の膝の上にいる妹が泣き出した。揺れる車内と外の暗闇は、
幼い子を絶望の淵へと持っていくことは容易だった。
妹の耳が痛くなるほど甲高い鳴声が、車内に響く。
いたたまれなくなった父がとうとう助手席を向き、大声で叫ぶ。
静かにしろ、静かにしろ、静かにしろ、静かにしろ………。
母が運転しているのだから前を向いて、と言い、妹を必至にあやす。
妹は泣き止まない。
次第に家族の苛立ちはつのり、とうとう全員が妹の方へ向き、何かしら言う。
何泣いているんだ。
ふざけるな。
うるさい。
お母さん、そいつを黙らせて。
気持ちよく寝ていたのに…このバカヤロウ。

…人は何故、人のことを考えられないのだろう?

ピカッ、ピカッ、ピカッ……。
光はおさまらない。
雨はおさまらない。
罵声もおさまることは無い。
父だけはもう諦めたのか、やれやれと言いながら前を向いた。
この雨の上に雷とは……不機嫌そうに、もう一度そう言う。
僕も、フロントガラスに目をやっていた。
すると、空に黄色い塊があるのが見えた。
それはどんどん大きくなっていった。
僕は父を見た。
父もそれを見ているようだ。
僕は家族を見た。
その時だった。

………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
ピピッ…。
「レイヴン、聞こえますか?レイヴン?」
「……ああ、聞こえているよ。」
「準備はよろしいでしょうか?」
「大丈夫だ。装備は万全。」
「…今日はあなたにとって、どんな日になるのでしょうか………。」
「………。」
「すみません。こんな事を…。」
「いや、いいんだ。……さ、エレベーターを動かしてもらってくれ。」
「了解。アリーナエントランスエレベーター、起動します。」
ガッ…。
ゴウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ………。
「上について、扉を開けたら……。」
「そうです。戦闘が始まります。」
「………。」
「…不安でしょうか?」
「そうじゃない。何か……何かが…なんていうか……心に…ひっかかるんだ。」
「…?」
「気にしないでくれ、僕にもわからないことが、君にわかるのかい?」
「…そうですね。……それではそろそろ到着です。いってらっしゃい、『カラードネイル』…。」
「…ああ……!!」

…人は何故、人のことを考えられないのだろう?

………ゥゥゥゥゥウウウウウウウウ…。
……ガァン!!
…着いたか?
エレベーターが止まった。
シュイイイィィィン……。
目の前にある、大きな扉。
右上から左下にかけて入っている、極わずかな隙間。
その隙間は次第に大きくなっていき、光がパァっと入ってくる。
一方は、右上に。
一方は、左下に。
それぞれ、隠れてゆく。
光は闇を切り裂き、やがて、支配した。
僕は、前へと進む。
ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン……。
地面を踏みしめるように。
そこに地面があると、一歩一歩確認するように進んでいく。
……何が不安なんだ?
何が引っかかるんだ?
今日は、お前の全てが終わる日なんじゃないのか?
今までの血の滲む苦労。
忌まわしき、血塗られた記憶。
…その全てが終わろうとしているんだぞ?
僕は何も間違っていない。
間違う事などない。

…何も、間違っていないよな?

そして僕は、アイツを見た。
目の前に立っている、アイツを見た。
赤と紫で塗られている、アイツの機体を見た。
その中で嘲笑っている、アイツを見た。
見えた。
確かに見えた。
機内で、アイツが笑っているのが。
僕から全てを奪った、アイツの笑ったくそいまいましい顔が。
今すぐ岩肌に叩きつけて、原型がわからないぐらい、
骨まで砕けるぐらい、脳と目玉までグチャグチャになるぐらい、
その一度も見ていない、見えている顔を、
思う存分、めちゃくちゃにしてやりたかった。

…存分なんて、存在しないのに。

………ゼロ。

「…とうとう来てくれたか………。」
アリーナに響く、一つの声。
ゼロの声。
僕は、はっと我に帰った。
頭の中で、何度も何度も見ていない見える顔を、どこかの岩肌にぶつけていた。
…そして、はっと我に返ると同時に、どうしようもない怒りが込み上げてきた。
ガチャッ。
ドウゥッ!!
……気が付いたら、発砲していた。

…人は何故、人のことを考えられないのだろう?

ゼロはすぐに左へ避けた。
少し遠くで、弾が壁に当たった。
僕が撃った、バズーカの弾を。
その弾は、存在意義を全う出来なかった。
ボン。という、弾の小さな爆破音が、いやに頭に残った。
「お前が来るのを、楽しみに待っていたのだよ。」
ゼロはなおも喋り続ける。
その声がアリーナに響くたび、僕はどうしようもない怒りが、憎しみが、
全てが込み上げてくる。
僕は、僕の機体は、下げていた左腕を前に差し出した。
……ドギュウゥッ!!
ゼロは右に避ける。
そして、口を開く。
「フフフ、そうか……怒りで、憎しみで一杯か。」
「だまれええええええええええええええええええええええええええええええ!!」
僕はさらに発砲しつづけた。
ガチャ。
ドドドドドドドドドドドドドドドドドド…!!
AC独特の、後ろに突き出た体。
その上に乗っているものは上に上がり、浮遊し、相手を狙う。
そして、狂ったように弾を乱射する。
「お前は今、私を殺したい気持ちで一杯だろう…?」
「黙れ!!貴様に僕の気持ちなんか……知られたくもない!!
 知らないくせに……知らないくせにそんな口を!!」
「気持ち…?ッフフフ……!!わかるね、お前の気持ちなど、手に取るようにわかる!」
「黙れ!!黙れ黙れ黙れ!!あの日…あの日だ………!!あの日にお前は!!」
あの日。
あの日………。
………。
………。
………。
………。
………。
………。
光はおさまらない。
雨はおさまらない。
罵声もおさまることは無い。
僕も、フロントガラスに目をやっていた。
すると、空に黄色い塊があるのが見えた。
それはどんどん大きくなっていった。
僕は父を見た。
父もそれを見ているようだ。
僕は家族を見た。
その時だった。
急にまわりが光に包まれた。
それは決して神々しいものではない。
その光は、焼き尽くした。
車を。
道を。
父を。
母を。
兄を。
妹を。
祖父を。
愛を。
心を。
…僕の、全てを。

……リニアガン………。

僕は車から投げ出された。
リニアガンの弾が車に当たった時、僕だけはその爆風で吹っ飛び、
ガラスをぶち割って車外に出られたのだ。
…でもその時は、何が起こったかなんてわからなかった。
気が付けば、車の外。
目を開けてみれば、目の前には燃えた車。
僕の家族の、ワゴン車。
全身に走る、痛み。
フロントガラスで切った肌。
地面に叩きつけられた時の、打撲と骨折。
その傷が、自分で気付けば気付くほど、痛みは出てくる。
僕は、顔を手で覆った。
顔を洗うように、ぬぐった。
ぬるっとした感触。
僕は慌てて手を見る。
…真っ赤だった………。
鉄のような、独特の、血液の臭い。
同時に吐き気を催した。
……痛い、痛いよ…。
お父さんは何処にいるの?
お母さんは、助かったの?
お兄ちゃんは?
妹は?
おじいちゃんは…?
痛いよ。
血が出てるよ。
体が、動かないよ…。
助けて。
助けてよ………。
僕は再び車を見た。
何かを求めるように。
………燃え盛る車の中が、外からでもわかった。
いや…これはもう、車とは呼ばない。
車の形すらとどめていない、ただの「燃えているもの」だ。
…ガラスはほとんど割れていた。
僕は、母の座っていた助手席の方に目をやった。
すると………………母が出てきた。
髪の毛は燃えていた。
肌は水分を無くしていた。
目は、もうしぼんでいた。
それでも母は、車の割れた窓から顔を出し、必至に空気を吸おうとしていた。
それは奇妙で、とてもグロテスクで、恐怖だった。
……でも、その姿を見て、僕はなんだか勇気が出てきた。
そう、浮かび上がってきた、一つの真実。
………お母さんは、まだ生きてる…!!
それだけが、僕に希望を与えてくれた。
僕は必至に、折れた手を使って、前に進んだ。
はいつくばって。
何とかして。
必至に。
進むたびに、前進に激痛が走り、出血する。
でも…だから何だっていうんだ?
母は生きているんだ。
だから……だから僕は、母を助ける!!

…でも、そんな考えも、下らない事だった。

上から、大きな足が、下りてきた。
赤と、紫と、灰色の迷彩で色取られた、大きな足が。
…目の前の車を踏み潰した。
血が、僕の頬に飛んできた。
ぴしゃ、ぴしゃぴしゃ……。
そしてその足の下から、赤い液体が波状に広がっていった。

僕の心は、考える事を失った。
悲しくは無かった。
ああ、終わったんだな、って。
そう、ただ単にそれだけ。
僕は、その足を見上げた。
上に行くたび、わかってくるその形。
胴体のようなもの。
腕のようなもの。
武器のようなもの。
頭のようなもの。
全てを見終わり、見上げたところで、ピカッと、強い光が発せられた。
あれだ。
またあのあれだ…。
僕から全てを奪ったあれだ。
僕はその強い光の中でも、目をつぶる事は無かった。
つぶれなかった。
僕、感覚麻痺してるのかな、って思った。
…自然と、笑みが出た。
そして。
倒れこんだ。
ドサ、って。

……あのときの、強い光。
それによって、僕の頭はカメラのようになった。
それは、目というレンズを通して、脳というフィルムに深く深く刻み込まれた。
そうして出来た記憶という一枚の写真は、永遠に消される事無く、
今でも鮮明に残っていた。

…今思えば、何であの時、僕は死ななかったのだろう?

これから僕は、ゼロに話を聞かされることになる。
それは、そんな疑問も一発で解決出来るような事だった。
ゼロに聞かされた事。
全てを奪ったゼロから、全てを聞かされた。
…人は、運命にはあまりにも無力で、従うしかない。
その日に、僕は運命づけられたんだ。
ゼロは、言った。
言ってくれた。
……吐き気のするほど共感できる話だった…。

…人は何故、人のことを考えられないのだろう?
作者:アーヴァニックさん