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 EARLY MISSION1
  
 広く開けた、真白い空間。これは戦うための籠だ。鴉を放ち、お互い食らいあうための。 
 ACという名の巨大な鴉。どちらかが力尽きるまで、この籠は決して開かない。現在、時間制限は設けられていないはずだった。 
 この籠の中の戦いを見て人々は歓喜する。それは自分達には取りたくとも叶わぬ、原始的な衝動――純粋な力の衝突、破壊に対しての憧れであろうか? 
 人はそれを、アリーナと呼ぶ。 
 フロート脚を持つ一羽の鴉が、浮力を失い地へと落ちた。どこかうなだれているようにも見える。鋼鉄の体の各所からは黒煙がぶすぶすと立ち昇っていた。 
 見慣れた風景だ……そう、もう片方のACに乗った女は感じた。『アリーナ』仕様のモードにセットされたモニターに浮かぶ『WIN』の文字も含めて。 
『おーっと、ここまでっ!『テン・コマンドメイツ』大破ぁ!これでシズナ・シャイン、Bランク昇格決定だあ!』 
 外部チャンネルを開くと、女性らしい実況ナレーターの姦しい声が狭いコクピットにこだまする。煩わしいので試合中は回線を切っていたが、試合中もずっとこの調子だったのだろう。 
 アリーナでの実況は専ら彼女だ。いつもどの試合でも、変わらず五月蝿い。そんな彼女が、アリーナの一つの名物となっている事もまた事実だが。 
『今日も強い『ブラックザイト』!黒き死神、破竹の快進撃はまだまだ続く!誰かこいつを止めてくれぇ!』 
 ブラックザイトはその名の通り、塗装は黒そのものであった。普段の任務で闇に溶け込む分にはよいが、白一色のアリーナの場にはえらく浮いている。 
『ああん素敵、お姉様!もういっそ好きにして――』 
 シズナは黙って、ブラックザイトの右手にマウントされたクレスト社製マシンガン、MG−500を上方にある実況席へと向けた。 
『……失礼しました』 
 実際に発砲する事などないとは分かっているだろうが、とにかくナレーターは口を閉ざす。 
 満足したかブラックザイトは右手を下ろすと、今は開放されたゲートの一つから去っていった。 
 
 
 
  CRANK CASE 
 EARLY MISSION1:MATBLACK DANCER(黒塗りの人形) 
 
 
 
「シズナさん、凄いですねえ!もうBランクですよBランク!」 
 レイヴン用の控え室で椅子に腰掛け、ぼーっと時間を過ごしてきたシズナに話しかけてきたのは当然レイヴンであった。 
 レイヴン名『アップルボーイ』。歳はシズナと同じか少し上、といった所か。人が良く、絵に書いた好青年というやつだ。それがレイヴンとして有益なのかは疑問だが。 
 勿論、これが本名という事はないだろう。本名はシズナも知らないし、それが普通である。レイヴンネームは言わば芸名、シズナのようにバカ正直に本名で登録する者などまずいない。 
 本来ならばシズナは、個別の着替え部屋でパイロットスーツを脱ぎシャワーでも浴びてからここに来るはずだった。しかし彼女はいつも私服のままACに乗る変わり者、スーツの耐G性を考えるなら無謀と言い換えてもいい。だからしてアップルボーイは待ちぼうけを食らわずにすんだ。 
 それを考えると、試合が終わってすぐに観客席から控え室に来たらしい。余程興奮しているのだろうか?頬も少し紅みをさしているようであるし。 
「……当人の私よりあなたの方が喜んでいますね。少しオーバーなのでは?」 
「何言ってるんですか。僕なんかまだEクラスのままなのに……ホント、どうして同じ日にレイヴンになったのにこうも差が出るんですかね」 
 アップルボーイとは、一緒にレイヴン試験を受けてからの縁だ。よくミッションにも同行を依頼する。 
 善も悪も無く、全ては金の沙汰次第。そんなレイヴン業界の中で、表裏の無い彼の性格は危なっかしい反面、頼もしくもあった。 
「そんなに盛り上がれる事ですかね……」 
 はふう、とシズナは溜め息一つ、うろんげに呟いた。 
「というより、どうしてそんなにも無感動なんですか」 
 アップルボーイが尋ねる。アリーナの活躍がめざましければ力を認められAC用パーツをグローバルコーテックス社から貰えたり、より高額な依頼を斡旋してもらえたりと特典がついてくる。 
 また、企業の目に直接止まれば特別なパーツを回してもらえる事だってある。実際、高位ランカーの機体には一般レイヴン向けのカタログには載っていないパーツを使っていたりする。 
「別に企業の覚えが良くなっても、観客からの人気が上がっても私はちっとも嬉しくないですし」 
 言うとシズナは、瞼を半分降ろし再度溜め息をつく。 
「だったら、どうしてアリーナに?」 
 解せぬ疑問だ。アリーナはこの地下世界『レイヤード』の、数少ない娯楽の一つ。多くの子供達が目を輝かせ、AC同士の戦いをテレビ越しに観戦しているのだ。生死を賭け中に乗っている人間の事は気にもとめず。 
 ……まあアリーナでは武器も出力を規制され、勝敗を決める際に『AP制』というものを採用している。余程の『不幸』が無い限りは、アリーナで死ぬ事など無いのだが。 
「ぶっちゃけ、稼ぎやすいからです」 
「それはちょっと……不謹慎じゃありませんか?」 
 両手を広げ言うシズナに、珍しくアップルボーイは反論する。言わんとする事は分からなくもない。そのような態度の相手に撃破されたとなれば、真摯な態度でアリーナに挑む者に対し失礼だとでも言いたいのだろう。幼き日に見たレイヴンに憧れ試験を受けたという、未だレイヴンとしてどこか垢抜けていない彼らしい意見といえる。 
 とはいえ別にシズナのような者が珍しいわけでもない。駆け出しのレイヴンにとって金は貴重であるし、アリーナは貴重な収入源の一つなのだ。 
「ならば『無様に逃げ惑う相手を体中から火花撒き散らすまで撃つのが好きでして、命乞いなんかされると最高に感じちゃうんです』とでも答えればよろしいので?」 
 アップルボーイは閉口する。金目当てならばまだマシだ……レイヴンの中にはそのような者も、確かに存在する。なおかつそれらの者は、大概はある程度腕が立ったりするから困る。 
「まあ何でもいいでしょ。たまには夕飯一緒にどうです?奢りますよ、安いトコですけど」 
「え?…ああ、ええ、嬉しいなーっと……」 
 ――周りの男性レイヴンの視線が痛い…… 
 二人の仲をどう解釈しているのかは知らないが、周囲からは様々な目線が突き刺さる。 
 叶う事ならば、一人一人懇切丁寧に誤解を解いて回りたいができるはずもない。アップルボーイは肩を落とした。 
 
 
 
「時に、明日は予定とかあります?」 
 言った通りに安めなステーキハウスの一席にて、固い肉を切り分けながらシズナが問う。 
「明日?……うーん、仕事も試合も無いし、特に予定といえるものは。何故です?」 
「デートのお誘いにと思いましてね」 
「デ、デデ、デートォ!?」 
 上擦った声を挙げるアップルボーイを見て、周囲の客が何事かとこちらを見る。 
「……レイヴンでデートといえば、大体の予想はつくかと思いますけど」 
「……ああ、僚機ですか」 
 眉を寄せて言うシズナ。アップルボーイは顔を真っ赤に染めた。 
(なんか本当に林檎みたいですね) 
 シズナはフッ、と小さく鼻から息を吐いた。親しい人間でなければそれが笑っているのだ、と分からないほどに微妙な顔の変化。 
「……何ですか?」 
「いえ、別に」 
 何となく通じたらしい。気をつけよう。 
「しっかし、こーゆー時はウエットのきいたセリフの一つも言えませんかね」 
「……どうもすみませんね」 
 アップルボーイは憮然とした顔つきで自分の肉をがっつくが、結局僚機の件は了承してくれた。翌日というのは急な話の部類に入ると思うが、人のいい事だ。 
 
 
 
 愛機『ブラックザイト』のシートに腰掛け、四点固定型ベルトを締める。各システムを立ち上げる待ち時間の間に、髪を後ろで簡単に纏めた。 
『メインシステム、通常モード起動します』 
 女の声――所詮は合成音声だが――を聞くとシズナは、右手を操縦桿に添えつつ各センサーを立ち上げた。もうコーテックス社から手配された輸送機は待っているはずだ。 
『レイヴン、聞こえますか?』 
 今度は生身の女性の声が響く。レイン・マイヤーズ、グローバルコーテックスよりあてがわれた馴染みのオペレーターである。
 全般的な補佐を任されている、と言えば聞こえはいいが、これは一種の鎖でもあった。だからレイヴンの中には、あらかじめオペレーターとの契約は断わる者もいる。 
 まあ、レインはよくやってくれている。そうシズナは思っている。だから特別どうしたいとは思わない。 
『緊急の依頼が入りました。クレスト社の中央研究所が謎の部隊に襲われているとの事です』 
「先約入ってますよ?」 
『それは僚機の方のみで対処して頂きます、レイヴン』 
 いつもながら彼女の言動は事務的そのものだ。しかしそれよりもシズナは、どうして自分の事をいつも『レイヴン』と呼ぶのかが気になって仕方がなかった。 
 元々受けるはずだったミッション内容は密林地域の探索。テロリストが潜伏しているらしくその真偽を確かめるというものだった。 
 まるでアップルボーイに押しつけてしまったようだ――少々バツが悪い。 
 まあ、時間がかかるだけで大した事は無さそうなミッションだ。彼なら大丈夫だろう。 
「敵勢力は?」 
『ACが一機と、無人機が数機。研究所の防衛部隊も応戦していますが、苦戦しているようです』 
「……大した事無さそうですが。他の人いません?」 
『一番近いのがあなたです』 
 はあ、と溜め息をつく。どちらも依頼主は同じクレスト社、ならばこちらには断わる権限などない。 
 しょせん渡り鴉といっても、枷のついた鴉だ。自由には飛べない。 
「いいでしょう、ちゃっちゃか行ってちゃっちゃか終わらせます。どうすれば?」 
『輸送機の方にはすでに指示を出しておきました。至急、移動して下さい』 
「了解……」 
 
 
 
 研究所内部での戦いは、シズナを落胆させるには充分だった。任務に手応えを求めるような性癖は無いものの、あっさりすぎるのだ。 
 強いて例えるならば延々と単純な作業をやらされる苦痛。あれに少し似ている。 
『レイヴン!来てくれたか、助かった!』 
 中にはレインの言う通り、浮遊型の無人機が数機。それでもMT相手には辛いのかもしれないがACの敵ではなかった。 
 普通にマシンガンで狙撃しても芸が無い。シズナはブラックザイトのブースターを軽く噴かせると、左腕のブレードで斬りかかる。 
 クレスト社製レーザーブレードLS−2551。出が速いので重宝している。何よりブレードは銃器に比べ、弾薬費がほぼタダなのが素晴らしい。 
 容易く全部の無人機を叩き落す黒の機体。損害も全く無い。 
(これでは帰った時の各駆動系の再チェックが面倒なだけですね……) 
『今、ゲートを開放する!奥で味方のACも応戦中だ、手伝ってくれ!』 
 その言葉があと三秒遅ければ、ブレードを使って自力で扉をこじ開けていた。やれやれとシズナは首を振る。 
 ……そして、扉の奥にはレインの言っていた通りACが待ち構えていた。ミラージュ社製MM/003。その特異な形状とエネルギー防御が高い事で評判の頭部パーツが、まるで人の頭であるような印象を与えている。 
『これは……』 
「どこの誰ちゃんですか?」 
 レインはACが現れれば、どのランクのアリーナの何者だという事をすぐに調べ教えてくれる。それが仕事なのだ。 
 ただ、いちいちアリーナに登録されているレイヴンの名とその機体構成を詳しく覚えていないシズナにとってはあまり意味のある行為ではなかった。 
『いえ、コーテックスには登録されていません』 
 予想が外れた。未登録機とは――基本的にACを行使できる唯一の存在がレイヴンであり、レイヴンのレイヴンたる証とはコーテックスに登録されている事だ。コーテックスに登録されていないのならば、正規のレイヴンではない。 
 稀にテロリストが廃棄されたACから使えるパーツを寄せ集めて作る場合があるというが、目の前にある機体はとてもそのような中古品には見えない。ミラージュ社のパーツが多いようではあるが…… 
「まあ、止めるしかないですかね」 
 問題の機体は、友軍である四脚型ACの方に気を取られていた。これ幸いにとブラックザイトが横から斬りかかる。 
 ――しかし敵機は、まるで横に目がついているかのような反応で回避した。急いでシズナは愛機に距離を取らせる。こちらは軽量級だ。至近距離での撃ち合いになれば押し負ける。 
 場所は明らかにシズナに不利だった。狭い研究所内。それでも細かいステップでブラックザイトはレーザーライフルを回避する。 
 同時にマシンガンで応戦。相手がよく飛び跳ねるので、着地際を狙い左肩のロケットも撃った。 
 友軍機は損傷がひどいらしく、安全なところから消極的に弾を撃つだけ……まあ、死ぬために前に出ろとは言えないが。 
(消耗戦になる……なら!) 
 短期決戦に賭ける。ブラックザイトはOBを起動、突進した。敵機はこれが狙いとばかりにEOを起動させる。 
 ブラックザイトはかなり撃たれ弱い。アラートがけたたましく鳴り響くが、シズナは無視した。 
「せええええい!」 
 密着状態からブレードを振るう。素早く三回ほど当てたら、今までの損傷もあってか所属不明機は沈黙した。 
「赤字……ですかね」 
 任務完了の感慨にふける事も無く、機体状態をチェックし予想されうる修理代を弾き出すとシズナは嘆息した。 
『レイヴン、無茶が過ぎます』 
 レインの忠告をぼんやりと脳で咀嚼する。自分は死に急いでるのだろうか? 
――ふん。武器が壊れたがるなんざ、自己否定に等しいね―― 
 我が愛機は、そう答えたようにシズナには感じられた。 
 
 
 
 結局、例の所属不明機は全てが謎のまま。ただ、残骸を調べた結果どうやら人が乗っていた形跡が無いらしい事が分かった。 
「無人機ですか。そんなの実用化されてましたっけ?」 
 この問いをレインは否定した。今の所、MTならとにかく操作が難解なACを扱いこなせるほど柔軟性に富む思考能力を持ったAIはどの企業も実用段階にまでこぎつけていないと。 
 そしてこうも言った。もしそれが可能だとすれば、『大破壊』以前のロスト・テクノロジーでもないと不可能だと。 
 大破壊により消え失せた旧世代の文明、その遺産。レイヤードにおける認識は精々、三流のゴシップ記事といったところだ。 
 そして今、シズナの目の前には逆関節脚を持った重量型ACが煙を噴きうずくまっていた。 
『さあさあさあさあ!大概の予想に反し、今日も勝ったぞブラックザイト!とうとうアリーナの頂点、エースをその射程内へと捉えたー!』 
 今日の対戦相手はAランクニ位、『BB』の駆るタイラント。基準重量を無視しまくった高火力機だ。ただ、シズナを相手にするにはあまりにも機動性が無さすぎた。 
(……あ、まさか始終『重量過多』のアラートがびーこんびーこん鳴っているから『BB』って名乗っているんですかね?) 
 シズナは結構酷い事を考えている。余談だが、BBとてアラームの設定くらいOFFにいじってあるので、そんな事は当然無い。 
 他には、ついこの間ミラージュから購入許可が下りたブレードも役に立った。MOONLIGHT、通称月光と呼ばれる型だ。全ての面で従来のブレードを上回る。これで後は重量さえどうにかできれば完璧なのだが。 
 いずれにせよ……来る所まで来てしまった。明後日にでも次の試合は組まれるだろう。 
 Aランクアリーナ一位、無敗の男『エース』。そしてその乗機アルカディア。勝算はといえば、やってみなければとしか言えない。 
『馬鹿な……馬鹿な馬鹿な馬鹿な!この俺が、この俺が小便臭い小娘に負けるはずが――』 
 試しに通信回線を開いてみると、何やらわめいている。喧しい。シズナは無言のまま回線を切った。 
 
 
 
『レイヴン、試合は明後日と決まりました。アリーナ本部はもう少し先の日時まで延ばすつもりだったようですが、今度の対戦相手であるエースから是非にとの要望があったそうです。月並みな言葉になりますが、体調管理に気をつけてください。万が一にでもエースの不戦勝ともなれば、どのような事になるか分かりません。あなたは高く買われているようです。彼にも、観客にも』 
 BBとの試合の後に届いた、レインからのメール。そういえばアリーナ上位のレイヴンは多くがBBの息がかかった者だったらしい。『ロイヤルミスト』や『ワルキューレ』からのメールで明言はしないにせよその事は知れた。ロイヤルミストを撃破した時は、『勝手にBBにやられるがいい』などといった旨のメールが来た――実際にやられたのがBBの方であった事は、どこまでの人間にとって予想外だったのだろう。 
『さあて、とうとうこの日がやって参りました!傲岸不遜な挑戦者、怒涛の勢いでここまで辿り着いたシズナ・シャインの駆るは黒き死神ブラックザイト!対するは、無敗の王者エースの機体アルカディア!実況はおなじみこの私、リリカ・ミンクスがお送りします!ところで解説のマスク・ド・マッスルさん、エースの公式戦は久々ですね?』 
 昨日、当のエースからもメールが来た。『自分は理想の力を追い求めている。お前との戦いにそれを見る事ができるよう期待している』――といった内容だった。 
(つまりは、一種のバトルマニアさんですか) 
 いつものように普段着のままで、ブラックザイトのシートに収まり独りごちる。成る程、目の前の機体アルアディアからは純粋な覇気が感じられる。檻の中とはいえ頂点を極めただけの事はある、王者の風格というやつをにじませた覇気が。 
『そうだね、BBはエースに挑戦する事が滅多に無かったしエースが誰かを相手にする事も無かったからねえ。今日の視聴率はすごいよきっと』 
 解説のマスク・ド・マッスルとやらの声が聞こえる――ちなみに彼は一度雑誌か何かで顔写真を見かけたのだが、レイヴンというよりは覆面プロレスラーが似合いそうな体躯の持ち主である。 
『調子はどうだ?まさか縮み上がってはいまいな』 
 通信が入った。件のエースからだ。思っていたよりずっとその声は若い事に驚いた、『撃墜王』などと名乗っているから、かなりの年配かと勝手に想像していたのだ。 
「まさか。こんな程度の緊迫感なんて正直ぬるいくらいですよ」 
 やせ我慢ではない。所詮は檻の中の『勝負』だ。むしろ拍子抜けしているくらいであった。普段渡り歩いている修羅場に比べれば。 
『フ……それは頼もしいな。メールで送った通り、私は私自身の理想の力を追い求めている。それが一体どういったものなのか、どうすれば見つかるのか――それは私も知らない。……が』 
 それで一呼吸おき、強い調子で宣言する。 
『無様な闘いを許す気は無い。全力で来い』 
 一方的に通信は切れた。挑発しているのか萎縮させたいのか、まあどちらかといえば前者だろうが意図が分からない。 
(つまりは己の信念に対して純粋すぎですか。全く、ああいった手合いは人の都合を考えないから……) 
 モニターの正面に『READY?』と赤い文字が出た。集中しよう、そろそろ始まる。 
 『GO!』緑の文字が出ると共に、ブラックザイトは前方へと滑り出した。同時にアルカディアは空中へと舞い上がる。 
(最初から……空中戦!?) 
 シズナはエースの戦法を知らない。調べる気も無かったし、彼はここしばらく試合をしていない。 
 ACの空中における機動性は、上昇もしくは高度維持にブースターの推力を裂かれる関係からか地上に比べるとやや劣る。シズナは使用武器をマシンガンから右肩のロケットに変更すると、アルカディア目掛けて撃つ。 
 しかしほんの少し右に機体を揺らす――それだけの小さな動きで、アルカディアはロケット弾を回避した。お返しとばかりにアルカディア左肩の携帯グレネードが火を噴く。 
「……くっ!」 
 距離があれば、ましてや一対一の戦いではグレネード弾を回避する事はブラックザイトの機動性能からすれば容易い。しかしエースはそのまま、グレネード、チェインガン、スナイパーライフルを絶え間無く空中から斉射した。猛烈な弾幕を前にして、避ける事に専念する黒の機体。 
 そんな中、アルカディアは早々と肩の両側面に取りつけてあったSILENTを破棄した。ブラックザイトにはミサイルが無いからしてミサイル迎撃装置など意味は無い。 
『これはエース有利と見ていいんでしょうか、マスク・ド・マッスルさん?』 
 開戦からブラックザイトは、散発的にロケットを撃つだけで逃げ回っている。この試合を見ているほとんどの人の目にはそう映るだろう。 
『そうだね。しかしこのAP表を見てみたまえ』 
『あ、シズナさん意外と減ってませんねー』 
 APというのは、アリーナにおいて勝敗を決める要素の事だ。あらかじめACの頭部、腕部、脚部の耐久性に応じたポイントが割り振られ、アリーナ用に出力を調整された武器の攻撃を受けると、実戦を想定した仮想ダメージがポイントから引かれてゆく。 
 つまりAPがゼロになるという事は、『これだけ攻撃を受ければ実戦では終わりですよ』という目安なのだ。こうなるとアリーナモードにセットされているOSは強制的にACの戦闘モードを終了させる。たとえ実際はまだ戦闘可能な状態であるとしても。 
 アリーナは決して殺し合いの場ではない。しかし比較的加減のし易い光学系兵器に反して、実弾兵器は加減のしようがない。多少威力は落ちているだろうが、あくまで多少である。仮にも兵器を実際に持ち出し、人を乗せ戦う以上、アリーナに『不幸な事故』は昔からつきものなのだ。 
『アルカディアの攻撃、特にグレネードの爆風が派出だからいかにもブラックザイトが押されているように見える。しかしこれは激しいけれどもその実、ほとんど膠着状態にあるんだ』 
『はー、そうなんですかー』 
『ただ、彼女のこれまでの対戦成績を見てみると、実はそのほとんどが地上戦だ。特に彼女はブレードによる接近戦を得意としている。常に空中から攻撃をしかけているエースほど、やり難い相手はいないだろうね』 
 グレネードが周囲に着弾し爆風が白いアリーナの床を山吹色に染める中、ブラックザイトが踊る。 
 確かにアルカディアの攻撃は激しいが直撃はもらっていない。とはいえ完全に回避するのもまた難しい……先ほどスナイパーライフルの弾が、ブラックザイト右肩装甲に直撃した。確認はしていないが恐らく、インサイドベイは動作不良を起こしているだろう。 
 マシンガンを撃たないのは、単にアルカディアがマシンガンの有効射程に入ってこないだけの事だ。というよりも、アルカディアは試合が始まってから一度も足を地に着けていない、ずっと浮いている。ニ脚であるなら本来構えが必要な肩キャノンを空中から乱射している事からも考えると、そこから導かれる結論は一つだ。 
(半永久飛行を可能とするまでのブースターの効率化に、二脚で構えずとも肩キャノンを撃てるほど強化された制動力……射撃補正もいやに正確です。どれもOPパーツ・インテンシファイ固有の特徴ですか) 
 キサラギ社の特殊OPパーツ、INTENSIFY。自分で機能を拡張させねばならないこのパーツを、データ収集と銘打ちキサラギ社は一部のランカーに無料で配布していた。社に収集データの提供を定期的に行う事を条件として。 
(上位ランカーはこれの装着者ばかりですね、ったく!) 
 アルカディアの様子を見るに、エースは最低でもシズナの知る限りの能力全てをインテンシファイに付加しているようだ。余談だがこのパーツ、シズナも持ってはいるがどうにも謎が多すぎて胡散臭いものを感じ、装着していない。 
(でもあちらの弾数にも限りがある。この調子なら、こちらのAPが尽きるより早く弾が無くなるはず……) 
 ロケットを当てる分は期待できないため、シズナはロケットを撃つのは牽制と割り切っている。それでもたまに当たる事もあるようだ。 
――どうした!?お前は優れた兵器なんだろ!?死神なんだろ!?たかが蝿一匹に不甲斐無えじゃねえか! 
「……うるさいっ!」 
 誰も何も言っていない――通信機はいつも、試合が終わるまで切っている――というのに、シズナは声を荒げる。自分にこんな危険な妄想癖があるとは思わなかった。 
 業を煮やしたかアルカディアが高度を下げてきた。こちらと同じ最高出力ブレード、月光を構える。 
――蝿の落とし方を知ってるか?引きつけてから一気に落とすんだよ! 
 シズナは返事の代わりにブラックザイトのOBを起動させ、距離を詰める。 
 しかしそれはエースの誘いだった。残り少ないグレネードの弾を全て叩きこんでくる。OBで突進中のブラックザイトにこれは躱しようがない。 
 回避は無理だと悟るや否や、シズナはインサイドを用意した。案の定、右肩の方はフレームが歪んだせいか開かない。 
(デコイか……だが!) 
 エースはすぐにインサイドがデコイだと看破した。そして恐るるに足らない事も。確かに本来ミサイル防御用のデコイはうまく散布すればグレネード弾も防いでくれるが、OBによる高速移動の最中では展開しても後ろに流れてしまう。 
 ブラックザイトは速度を緩める様子も無く、デコイユニットをパージすると、ユニットの本体を左手で掴み投げつけた! 
「何っ!?」 
 普段インサイドは使わない主義のシズナだったが、最初からこのためだけにデコイを装備していたのだ。デコイユニットにグレネードの初弾が命中し、残りの弾もつられて誘爆する。心中でDD/10の料金12700Cに黙祷を捧げる――あの類のユニットは左右でバラ売りはしていない。 
 残弾が無くなったグレネードをパージしたアルカディアに、鈍色の煙を引き裂きブラックザイトが襲いかかる。咄嗟にアルカディアは後退しつつライフルを構えた。 
 だがそれが、ブラックザイトの振り回した月光に当たってしまったようだ。為す術も無くスナイパーライフルの銃身が断たれる。 
 エースの反応は素早かった。武装をチェインガンに切り替え撃つ。頭部を狙ったようだが、ブラックザイトは片方のインサイドだけをパージした事で傾いた重心をまだ最適化していなかった。若干右肩が沈み、結果頭部をかすめ左肩のレーダーに銃弾が命中する。 
――あんなんいるか!戦いは目でやるもんだ! 
 OBの余剰推力が残っているため、ブラックザイトとアルカディアの距離はまだ離れない。キンキンと響く耳を抑えたい衝動を堪え、シズナはさらに追撃のブレードを振るう。 
 エースもこれをブレードで受け止めた。空中では踏ん張りが全く効かず後方へ弾かれ、アルカディアが着地する。 
(ちいっ……) 
 試合が終わる前に着地するのは久々だ。確かエースの記憶が正しければ、半年前のノクターン戦以来……しかしあれは、天井が低い駐車場での試合だったからだ。 
 エースは軽い苛立ちを感じていた。同時に何か――昂揚感のようなものも。 
 軽く跳躍しほんの一瞬OBを噴かし、ブラックザイトを飛び越し旋回。改めてチェインガンを足元のブラックザイトに――
(……いない!?) 
 エースはレーダーを見やる。中心に重なる形で黄色い光点。 
「上か!」 
 アルカディアが見上げた先に目当ての物はあった。照明の落とす影とそのまま同化したような黒い機体。瞬発力だけならば、アルカディアよりもブラックザイトの方が高い。 
 マシンガンの黒い銃口がこちらを捉えている事が、まるで他人事のようにエースは感じた。 
――『刈』ったぜ! 
 今まで一度も使っていなかったMG−500の弾丸がアルカディアの全身を撫でる。背のチェインガンがマガジンに直撃を受け、弾け飛んだ。 
「舐めるな!」 
 アルカディアの月光が唸る。シズナは勿論ブレードのレンジ外にいたのだが、月光の刀身が一瞬凝縮され解き放たれた。光波と呼ばれる特殊攻撃法だ。 
 空中ではACのブースターの出力は七割まで抑えられる。さすがにこの距離ではシズナも光波を回避できなかった。咄嗟に胴体を庇ったブラックザイトの右腕が、マシンガンごとボロボロになる。強い閃光、激しい衝撃。 
「往生際がぁ!」 
 ブラックザイトは残った火器を乱射した。もう右肩のロケットしか残されていないが、最後の力でブレードを振りきり密着したままの状態のアルカディアには面白いように着弾する。 
 そしてお互いに着地。それっきり、沈黙が走る……終わってみればほんの十数秒の出来事、実況を入れる暇も無かった。 
 アリーナの中央。膝を折り黒煙が昇るアルカディアに、ブラックザイトはまだ動くらしい左腕のブレードを突きつけていた。エースの見つめるモニターには赤い『LOSE』の文字。 
 先ほどのロケットで左腕が破壊された――これでアルカディアには使える武装が残されていない。アリーナの特別ルールの一つとして、制限時間を設けていない場合、全武装使用不可となったACは継戦能力無しと判断され自動的に負けとなる。 
 勝ったとはいえ、ブラックザイトも満身創痍に変わりはない。右腕は壊れ、左肩のインサイドベイは動作不良。不慣れな空中戦を強いたせいかブースターが不調を訴えているし、ロケットも残弾がほとんど残っていない。 
(無事なのは左腕の月光一つですか……やれやれ) 
――はん、死神が纏うのはボロ布くらいで丁度いいさ―― 
 また聞こえた。これは一体何なのだ。知らない自分の一面が作り上げた影か。可能性は低いが、クレスト社がコアのAIに妙な仕掛けでも施しているのか。 
『やったやった、ついにやったー!挑戦者シズナ・シャイン、無敗の王者に土を着けました!』 
『リリカ君、それ相撲』 
 実況の声を皮切りに沸き上がる歓声。外部モニター類の電源を落としても、あまり五月蝿さは変わらないだろう――シズナは舌打ちする。 
『はっ……はははは…………ははははははは…………』 
 突如笑い出したエースに、シズナは気でも触れたかとかなり無礼な事を感じたがそうではない。 
 悔しさや喪失感は感じていない――最初から、勝ち負けに執着は無かった。それでもこれまでは、自分を倒せる者がいなかっただけの話だ。 
 エースがアリーナに入る頃には、すでにBBを中心としてアリーナには秩序が形成されていた。気がつけば頂点にいた。敗れたBBが再度挑戦してくる事はほとんど無かった、己の保身が大事のようだ。 
 空虚だった。理想の力を戦いに求めた、アリーナに求めた。そして誰もが自分を失望させてくれた。 
(だがしかし……私は確かに垣間見た。まだ見ぬ理想を……) 
 この熱く胸に満ちるような、長らく忘れていた感覚。 
 シズナは確かにエースに勝った。しかしそれが新たな、シズナの言う所の『厄介事』になろうとは―― 
 何となくではあるが、薄々と感じていた。 
 
 
 
「ですから、ここの配列を変えるだけでですねー、出力が五パーセントくらい上がるんですよ」 
 アリーナのトップになってからも、シズナの周囲への対応は変わらなかった。今更変わるだろうとは誰も思いはしなかったが。 
 とかく彼女は、アップルボーイの眼前で彼が契約を交わしているメカニックチーフと、彼の愛機であるエスペランザの図面を前にあれこれ言い合っていた。ACのエネルギー伝達関係のちょっとした小技を教えているようだ。 
「うーむ、しかし排熱効率が悪くなるな。その点はどうする?」 
 しかし彼女が分からない。どうも掴み所が無いし、関係無いが浮いた話もまるでない。彼氏くらいいてもおかしくないだろうに。 
「私の場合は、この辺にダクト設置してどうにかしましたが……確かに、あんまり排気口増やすのも困りますね。弱点ですし」 
「つっても、そんなトコ狙い撃てるほど器用な奴たぁウチの旦那は張り合わんと思うがねえ」 
 そうだ。常日頃はあまり考えないのだが……どうして自分なんかと一緒にいるのだろう。 
 もとい。彼女は何を思って、自分といるのだろう―― 
「ってえ!聞いてますかあなたは!そんなに私の胸が見たいですか!?」 
「え!?あ、はい!」 
 咄嗟に言葉を返すアップルボーイだったが、すぐにそれが失敗だった事に気付いた。どうやら考え事をしていた時、ぼんやりと向けた目線の先が彼女の胸元だったようだ。 
 シズナ当人よりもメカニック陣からの突き刺さるような目線を受け、アップルボーイは居心地の悪さを感じ腕をさする。 
「あなたの機体の事なんですよ?実際に改造するかどうかはあなたの判断ですし、いざという時にマニュアル通りの対応しかできませんと応急処置もできませんし――とと、もうこんな時間ですか」 
 嘆息気味に告げるシズナは、腕時計を見て顔をしかめた。 
「そろそろ試合の時間かい。エースの野郎もひつこいねえ?」 
「まあそうです……理想が何だか知りませんけど。すっぽかしても無駄でしょうし、少しは休ませて欲しいですねえ」 
「いいじゃねえか。ファイトマネー凄いんだろ?」 
「もうそんなに無理して稼ぐ必要無いくらいには貯まってます……」 
 低血圧の彼女、目が覚めたばかりの朝方には歯切れの悪い返事しかしないのだが――それを彷彿とさせる声である。 
「ほおお。やっぱトップランカー様は言う事違うねー?」 
「……悪かったですね、僕はまだEランクで」 
 チーフに肩を抱かれ暗い声を出すアップルボーイを尻目に、シズナは苦笑しながら自分のガレージへと急いだ。 
 
 
 
「あなたも、よいよいひつこいですね……私そういう人は嫌いですよ」 
『別にお前に好かれようとは思っていない』 
 アリーナで用意される対戦ステージの一つ、廃棄工場で二人は対峙していた。 
 試合におけるステージはコーテックスがランダムに選択する。対戦者が選ぶ事はできない、それでは相性による優劣が生じてしまう。 
「ここ二週間で九回。挑戦権をほとんどフルに行使していますね?あなたは新手のストーカーさんですか」 
 シズナがアリーナのトップに立ってから、エースは何度も挑戦を行った。結果はシズナが全部勝った。圧勝の時もあるし辛勝の時もある。 
『私が追い求めているのはお前そのものではない。お前との戦いの先にあるだろう理想の姿だ』 
 はああ、とシズナはこれ見よがしに嘆息する。こんな様子だから、仮に対戦を辞退して不戦勝にしても無駄だろう。順位以外何も変わらない。 
『さあて今日もやってきましたアリーナの頂上決戦!これで何度目でしたっけ……?それにしても何度やってもエースは勝てませんねー』 
『いやエースの腕はここ数日の度重なる試合の中で確実に伸びてるね。ただ――まあこの画像を見たまえ』 
『それぞれ三日前、五日前、七日前ですね……ええと、水上ステージが無い?』 
『違うよ。空中戦の割合が増えていってるのさ。つまりシズナ・シャインの腕がエースを上回る速度で伸びてるから、こうなってるんだ』 
 実況席の言葉を聞いて思う。確かに空中戦は上手くなったが……こんな代価を支払ってまで得たいとは思わなかった。 
(気がつけばこんな所にいる。きっかけは単に、やりくりが苦しいからアリーナに出ようって、思っただけなのに……) 
 常に、何かに流され続ける人生。こんな自分にはお似合いなのかもしれない。 
 シズナは息を吐いた。何を鬱に浸っているのだろう、らしくもない。 
「それじゃあ、今日もきっちりオツトメ果たしましょうかね!」 
 今日も死神は踊る。二人きりの檻の中で。 
作者:ラッドさん 
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