サイドストーリー

Chapter5:ニアミス
エマ・シアーズは焦燥していた。マニュアルには無かった事態だ。
アッシュの突如の通信拒否。機器の電源も落としていたらしく、繋がる気配が無い。
その前に感じた、あの只ならぬ雰囲気は何だったのだろうか?
ACのカメラが映した映像を転送して貰えば良かった、と後悔した。
だがしかし、レーダーが新たな熱源を感知したことは知っている。それがACであることも。

「……確か…確かACの通信機器に強制的に介入する手段が……」

それが“エアヘッド”であるとは予想がついていた。
レイヴンだけでなく、未登録の警戒すべきACとしてコーテックスにもその噂は広がっていたのだ。
そして登録されたACなら誰もが持っている筈の識別信号が無い。
アッシュと自分はまだ未熟であることも知っていた。もしそれに襲われたのだとしたら……

予感を振り切り、コンソールを操作する。
通信はレイヴンとオペレーターを繋ぐ最も重要なもの。万一レイヴン側の機関がダウンしても
強制介入の手段はあった筈だ。それをもう少しのところで思い出せない未熟さを呪った。

確か――システムを―――パネルをこう動かして―――

パイロットの任務中の死亡はさほど珍しくない。そういう危険と隣り合わせの世界である。
だからもしそうなっても、また新たな者の担当に移るだけで、オペレーター側に特に何かの不幸が降りかかるわけでもない。
しかし――心配でない筈がない。
アッシュはほぼ自分と同じ時期にこの業界に入った。いささか変則的だが同期ということになるのだ。
少なくとも単なる一傭兵とは見ていなかった。
担当官として事務的になりきれないところも、また彼女の未熟であるところの一つだったかも知れない。

通信がACコア内部付属のものに介入するのと、ファーマメントの識別信号が消えるのはほぼ同時だった。

「レイヴン、聞こえますか?応答してください!レイヴン!!」

怒鳴り込むようにアッシュに呼びかけるエマ。
返事は無い。
返ってきたのは沈黙と通信機器のノイズだけだった。

「…っ!レイヴン!聞こえるなら応答を!」

焦りは加速する。それを振り払うかのように呼びかけを続けるが、人間の声は返ってこない。
何度試みても、エマの声はマイクの向こうの沈黙に吸い込まれた。

彼とは特別親しいわけでもなかった。
直接顔を合わせたことも無い。通信のモニタで見る二進法の顔が、彼女の知る限りのアッシュだった。
初めてモニタ越しにアッシュを見たとき沸いた感情は、優しい、真っ直ぐな目をした青年だということだ。
何故この鉄錆臭い世界に入ったのか疑問に思う程に。
プライベートに関わることは御法度だったが、つい何故レイヴンになったのかを聞いてみたときがあった。

『強くなりたいんだ』

返答として呟いた彼の目は、その時本当に強い意志を秘めていた。
近い将来、彼は、必ず彼の言うところの“強い”レイヴンになれるだろうと、その時は思ったのだ。

――思ったのに。

返事が来ないことを確認し、通信を切るエマ。
まずはミラージュに任務失敗の報告だ。それからコーテックスに――アッシュの、死亡報告。
その液体が体温と同じ温度だったから気付かなかったのだろうか、いつの間にか頬が濡れていた。
それを掌で拭ってみる。涙だった。



目が醒めたら暗かった。
計器類と並んで表示されているデジタル時計に目を遣る。AM2時8分。
作戦開始からのべ38分が経過したことになる。
MT達との戦闘はそうかからなかった。エアヘッドとの戦闘時間も差し引いて気絶した間は――

「………エアヘッド!!」

弾かれたようにシートから体を起こす。ACのシステムは全てダウンしていた。
混乱したままパネルを動かしモニタを自機状態表示に切り替えるアッシュ。
生きている?何故?そりゃ生存者の方が多いだろう事件だがそれはMT乗りの話で、レイヴンは全て死亡している。
今回だってその例に倣うだろうと覚悟していたのだ。

ファーマメントは黒煙を吐いて擱座していた。
右腕と頭部が切り飛ばされ、ダメージも大きい。通常モードに移行しても動くかどうか。
そうだ、エマに通信を。
ほんの数分前までそのエマに呼びかけられていたことも知らず、通信機器を操る。
まずは通信拒否したことを謝らないと。それと生存報告を――

『ガガッ ブッ ガガガあガー、聞こえますかggっと』

突如、全く別の通信を傍受した。

『ガこtちらホーrルゲイル、つってもどうせ知らねぇか……』

ノイズが鮮明になっていく。若い青年の声だ。“ホールゲイル”。機体名だろうか、聞き覚えがない。
とにかく。

「こ…こちらファーマメント。レイヴンか?救援に?」
『…あー、まあそんなトコかな。いやどうだろう』

相手の返答は要領を得ない。どんどん混乱していくアッシュ。
しかし相手がレイヴンだとすれば、どうしても聞きたいことがあった。

「…“エアヘッド”はどうしたんだ?」

沈黙。アッシュは密かにやきもきしていたが、数秒後に返答が返ってきた。

『“エアヘッド”?ああ…それねえ。全く不名誉なあだ名付けてくれやがるよな全く』
「…………?ちょ、待、ちょっと待ってくれ。その言い方じゃあんたが奴みたいじゃないか。
 あのさ、エアヘッドはどうしたんだ?撤退したのか?」

今度の相手の返答は早かった。即答とはこういう事を言うのか。

『いるじゃねーかここに』


アッシュの頭の中はもはやめちゃくちゃになっていた。
作者:アインさん