サイドストーリー

第二章「奔放ノ翼ハ集ヒテ 〜Rumbling Wings〜」
〜PM6:21 ベイロードシティ下層・ACガレージ〜
昼夜問わず薄暗いガレージは今、ありったけの光源で照らされていた。何も無ければ隅々まで照らし出せる強力なライトが、鎮座するACに阻まれて深く大きな影を地面に落とす。
昼はしん、と静まり冷めていた空気は、機関停止間もないACの発する熱気と行き交う整備士達にかき混ぜられて、ある種の活気に満ちていた。機体に乗ったままでは感じることが出来ないが、外の空気には焼けた金属の臭いが多分に含まれていることだろう。
・・・「コローナ発電所」や「コイロス浄水場」、その他の地域に現れた旧世代兵器群の迎撃に駆り出されていた三桁に及ぶACが一斉に帰還し、それに倍する人数のメカニックが整備に追われてガレージはごった返していたのだ。
シース達は最も遅い部類に入り、しかもシティ到着からガレージに下りてくるまでに軽く20分以上はかかった。件の、大型エレベーターの順番待ちだ。ともかく動きが遅い。
真ん中の通路を低い駆動音と共に進む白い機体、ネームレスヴァイパーは光を全身に受け止めていた。受け止めていたが、出撃時はツヤのあったフレームも今では砂塵にまみれ、被弾の衝撃で塗料が所々爆ぜている。
「時間・・・かかり過ぎだ。食欲失せてきた・・・」
指定されたハンガーまでゆっくりと機体の歩を進めながら、シースはげっそりと呟いた。背に腹は変えられない・・・ではなく、背に腹がくっつくとはこのことだ。
通信機器は全て切ってあるため、完全に独り言だ。サヤは聞いているだろうが、特に何も言ってこなかった。
ネームレスヴァイパーが移動している通路の両サイドに多種多様な型のACがずらりと並び、その全てが何らかの整備を受けている。
実弾の補充にEN兵器の放熱・乾燥作業。被弾した箇所の点検も行われている。損害が軽微なら被弾箇所の装甲板を弄くって終了。パーツごとの機能に支障が出るほどの損害なら機体からパーツごと外されて、O.A.E.から無償で提供されている新品のパーツと交換されてゆく。
せいぜいが中破止まり。カラーリングの塗料が大きく剥げて合金の鈍いシルバーが覗いている機体も多数いたが、損害そのものはそれほど大きくはないようだった。
そうして機体の状況をざっと確認してみると、どうやら他に比べてネームレスヴァイパーは重傷のようだった。
それもそのはずである。
ある程度は双発型ブレード「YWL03LB−TAROS」の有する実シールドとしての機能で防いだものの、真正面からガトリング弾の掃射を受け止めた事実は変わらない。
ようやく到着したシース用の機体安置、そして整備のためのスペースには既に1人の整備員が腰に手を当てて立っていた。
油やら塗料やらで中々にカラフルなグレーの作業服をきっちり着込み、手には分厚い茶のグローブをはめている。少し長めの黒髪を生やした頭には作業服と同じ色のキャップ帽を目深にかぶっていて、機体から見下ろしても顔の表情は影になって窺えない。
腰に当てていた手が持ち上がり、耳の辺りをとんとん、と2回叩いた。通信機をオンにしろ、という合図だ。
『通信機能オン。・・・“エスティ”に繋がりました』
画面の状況から素早く判断したサヤが、指示を待たずに先回りする。細かいことだが、ただの機械には出来ない“気配り”だ。
『派手に壊したな。・・・一体どんな使い方をしたんだ』
開口一番、特に怒るでも責めるでもなく、平べったい声でエスティは告げた。
エスティはいつも仕事に真剣で文句を言わず、黙々と作業を進めてゆく・・・よく言えば不言実行の典型のような、悪く言えば無愛想な男だった。整備員としての腕も確かだ。まだ30を過ぎたばかりで、整備員としては若い。が、彼には他の整備員には無い、圧倒的なアドバンテージがある。
それは、以前レイヴンだったという経歴だ。エスティという名前も現役当時の登録名で、本名ではない。
ランキングでも中堅かそれ以上の順位を維持していた。細かい経緯は分からないが、ある任務の遂行中にACと交戦して敗北、それを最後にレイヴンを引退したという。
レイヴンの世界にはありふれた話だった。最も、引退と永眠が同意であることの方が多いのだが。
ともかくそれ以降はネームレスヴァイパーの専属メカニックとして働いている。どういうコネで今のポジションにいるのかシースは知らない。
「他に比べりゃ多少酷いかも知れないが・・・派手ってほどでもないだろ?」
装甲値もまだまだ戦闘を続行できるレベルだし、どこにもエラーは発生していない。軽い整備と弾薬の補充で済むはずだ。未知の、それも旧世代の兵器とやりあってきたのだ。むしろこの程度で済んでよかったと考えるべきではないだろうか。
しかしエスティは先ほど耳を叩いた指を、そのまま白の機体の左腕に向ける。
『“タロス”だ。シールド部はまだいい。問題はレーザー口だ。見てみろ』
左腕を操作して持ち上げ、メインカメラを向けて正面スクリーンに拡大表示する。
緩やかなカーブを描きながら薄く大きく広がったシールド部には無数の弾痕が刻まれ、黒く煤けていた。いくつか深く抉られている部分もあるが、本格的なシールドとしての処置が施されているわけではないのだから、破壊されなかっただけ僥倖だ。
視点をレーザー口に移す。
「げっ・・・」
エスティの指摘が何を意味するのか、見た瞬間にシースも悟った。
タロスのレーザー口は威力の強化を目的として試験的に双発型が採用されている。通常のブレードよりもレーザー口にかかる負担は大きく、熱量も比ではない。そしてシースはついさっき、規定値ぶっちぎりの出力のブレードを形成してホロコースターの胴体に叩きつけた。
結果、レーザー口が見事に融解、爆発的なエネルギーの流れによって外開きに裂けていた。さながら、花びらの歪な花を手にしているようだ。もしこのまま使えばブレードが“暴発”するという、珍妙な事態に陥っていたことだろう。
『弾痕はともかくその裂け具合、今から修理している暇はないだろう。交換、と言いたい所だが、試験的に販売された限定パーツだからな。在庫が少ない。今調べてみるが、無かった場合のことを考えておいてくれ』
「了解・・・」
機体を固定するための立ち位置が示されている場所まで移動し、壁に背をつけるようにして停止。足首が地面から伸びた爪のような止め具で固定され、背後の壁から伸びたアームが腕、腰と要所を掴んでゆく。その度に、耳障りな金属音が跳ね回った。
エスティはタロスに一瞥をくれ、特に何の感慨も見せずに背を向けた。シースのスペースのすぐ横の壁から突き出た端末は別の整備員が使っていたので、真っ直ぐに通路を横切って反対側の壁面に埋め込まれている端末に向かった。
その動きを何の気なしに眼・・・つまりACの頭部を動かして追いかけるうち、正面のスペースに固定されている機体が見知った物であることに気がついた。
見える範囲にカラーリングの剥げた箇所はなく、赤を基調としてシルバーやオレンジのラインがくっきりと映えている。頭部先端は刀剣を思わせるほどの鋭さだ。
(損害ゼロ、か。さすがだな)
丸く突き出た特徴的なコア。その襟に埋まるようにして覗いている、流線型の頭。貧弱なイメージすら与える腕はOBを多用するが故に冷却性能と、OB中の射撃にも耐える照準精度を求めた結果選択されたコンセプト腕だ。逆関節と見まがうシルエットを持った中量の脚部は、近距離戦闘の最重要パラメーターである旋回性能を重視した物だ。
整備のために武装は全て外されているが、見間違えようの無い機体だった。
『ライブラリーを照合。類似機体、1。ランカーAC、トミーロットです』
膨大なデーターの中から一瞬にして選び出された機体コード。コンソールパネルに構築されてゆく機体には、武装もしっかり装備されていた。
『ASMコード &Nrg00406g3M1P0Bl00k5lgE816c62P4C80fwzB# 』 
黒光りするマシンガンと、刀身は短いものの出力は現行最強を誇るダガー・ブレード。肩には必要最低限の範囲をカバーしたレーダーと、オブジェの破壊や動作が鈍く堅い敵、または接近戦時に使用する小型ロケットが搭載されている。
エクステンションには追加装甲が装着されているが、かなり防御力が低い機体なので焼け石に水、と言えなくもない。しかしこの機体のパイロットの追加装甲の使い方が一味違うことをシースはよく知っていた。
『“エニー”の機体ですね。機関停止中、パイロットは不在のようです』
「そうか」
ため息をつくように、どこか疲れた声で応じていた。その何割かは確実に安堵であったことに自分でも気がついた。
気を取り直して右手をハッチ解放のボタンに伸ばす。
「散歩」のつもりが、とんだアクシデントに見舞われた。そもそも戦闘など視野に入っていなかったため、黒のタンクトップにアーク支給の迷彩ズボンというとんでもなくラフな格好だった。絞れそうなほどに濡れていたタンクトップはすでに乾き始めていて、気化熱で体温が奪われているような気がしないでもない。というよりも、
「寒い。微妙に」
恨みがましく今歩いてきた道、その先にある大型エレベーターを睨んだ。
(まぁいいか、とりあえず飯だ)
一旦部屋に戻ってシャワーを浴びるとか、そのまま着ていると余計冷えるからせめて着替えるとか、そういう考えはないらしい。
「食欲旺盛はよきことかな」
『食べ過ぎには注意してください』
「ああ、分かってるって」
『それでは、おつかれさまでした。また明日。おやすみなさい、シース』
「おやすみ」
パネルに表示されていた「Talk」の表示が消え、数瞬後にパネルの電源が落ちた。
整備に必要なので最低限の電力は確保してあるが、それ以外は全てカット。あとは整備が終わり次第、サヤが勝手に切るだろう。
それにしても。
(・・・つくづくおかしなAIだよな。いくらなんでも“食べ過ぎには注意してください”“おやすみなさい”はないだろうに)
そのAIを気に入っている自分もまた、つくづくおかしな人間だ。
自嘲のようでいて妙にうれしそうな笑みをその頬に刻み、シースは体を縛り付けていたベルトを外した。


「ぃよぅ、シース。サヤちゃん元気か?」
在庫のチェックくらいすぐ済むだろう、とエスティが使用している端末目指して通路を渡ろうとした時だった。視界の外からかかった親しげな挨拶を聴覚で捉えるや否や、シースは苦虫を5匹ほど噛み潰したかのような顔になった。
(どっから沸きやがった、このバカは・・・)
この男の声はよく知っている。よく知っているが、とりあえず脳内でボイスチェンジャーにかけることにする。できれば今は聞きたくない。というか絡むな。お前の相手は疲れるんだ。
「・・・」
うむ、作業完了。最近この手の脳内修正にかかる時間が短くなった。
ともかくこれでこの男の声は、エサにエリマキトカゲの丸焼きを出されたドーベルマンのような声に変わった。間違いなく、知らない第三者の声だ。断じて俺に話しかけてきているのではない。
よって、見向きもせずにエスティ目指して歩を進める。
「話しかけた人間の目の前をさながら何も聞こえていないかのように素通りとかいう高等な無視テクはやめてくれ、いい加減」
俺のやや前方を、こちらを向いて歩いている。ついでだ。モザイク処理もしてやろう。
「・・・・・・・・・」
先程よりは少々時間がかかったが、作業は完了した。これでこの男の容姿は、人間かどうかすらも判別不能になった。
それにしても、どうやら俺に話しかけているらしい。では、とりあえずインプットされている言葉を適当に見繕って答えてやろう。
「お前がそのネタを引っ張るのをいい加減やめたら考えてやるよ、エニー」
・・・我ながら上出来だ。
「そう言われてもなぁ・・・鉄壁のガードのお前を弄れるネタって言えばこれくらいしか・・・ってだから待てよっ」
立ち止まった隙に横を通り抜けてやった。あわててモザイクが追いかけてくるが、もちろん振り向かない。そうやって弄ろうとするからこういう扱いを受けるってことを、いい加減学べ。
とりあえず、もう一度アウトプットだ。
「お前がそのネタを引っ張るのをいい加減やめたら考えてやるよ、エニー」
「・・・もしかして俺、一応相手されてる様に見えて、実の所シカトされてる?前にもやられたけど、これって結構哀しいからやめ」
「お前がそのネタを引っ張るのをいい加減やめたら考えてやるよ、エニー」
「・・・とりあえずマジメな話な。ブリーフィングの開始時刻が延びたそうだ」
がっくりと肩を落としつつエニーは声のトーンをひとつ落とした。
そろそろキャラ紹介をしてやってもいいだろう。ついでに脳内でやったアホな加工処理も取り除くとしよう。
モザイクが取り除かれた空間には、支給品とは違う濃緑の戦闘服に身を包んだ男が立っていた。胸元をはだけていて、汗を大量に吸い込んでいるであろう白シャツが見える。
本名はエニティ=エンブリオ。呼称と、レイヴンとしての登録名はエニー。機体名は先にサヤが言ったとおり「トミーロット」だ。
同い年であり、目と鼻の先に住む隣人であり、成人する前からの数少ない友人であり、ほぼ同期にレイヴンとなったライバルでもある。うちの「親父」に憧れてレイヴンになったらしい。そのためかミラージュ社の依頼を受けることがほとんどで、俺とコンビを組んだことこそあれ、戦場で相見えるという事態は未だ発生していない。まぁ、アリーナで対戦したことは「何度も」あるのだが・・・対戦成績は秘密だ。
肩甲骨の辺りまで伸ばした金髪(今は生え際をゴムで一本にまとめている)と、人懐っこい笑みが特徴だ。昔は髪を伸ばすようなことはなかったのだがミラージュ社の関連会社が作ったメカアクションのアニメの主人公に憧れ、そのキャラクターが長髪だったために伸ばした。それ以来気に入ってその髪型を維持している。タイトルは確か・・・「サイレントライン」とか言ったか。
昔からそういったヒーローアニメの類が好きだったらしい。もちろん今でも変化はない。
俺は正義のために戦う、と大真面目に言われたこともある。よりにもよって、レイヴンがその言葉を口にしたのだ。シースには、笑うことができなかった。
軽薄さを装って何かと絡んできて、相手にすると疲れて、何より途方も無い夢を本気で追っている。
どうしようもなくバカだ。そしてそんなバカで真っ直ぐな男だから、シースはエニーが気に入っている。口が裂けても言わないとは、まさにこのことだが。
「延びたって、何でまた。何か問題でもあったのか?」
初めてまともな返答が返ってきたのがよほどうれしかったのか、マジメな顔をしようとしてエニーはそれに失敗した。
「問題、といえば問題だけど・・・どちらかというとありがたい問題だな」
「なんだそりゃ」
シースより一歩前に出て顔を覗きこむようにして回りこむ。エニーは表情を変えず、しかしそのブラウンの瞳にだけは隠しようも無い・・・闘志とでも呼ぶべき物を滲ませた。なまじ表情が緩い分、慣れているシースですら気圧されるほどの眼光だ。
これがエニーという男の、もう一つの顔だ。決して戦闘狂というようなことはないが、燃え滾る血は隠せない。その熱い血は何もアニメに触発されたのではなく、彼が元来持ち合わせているものなのだ。
「旧世代兵器製造工場の大本・・・っていうか、各所の工場に指示を飛ばしてる施設の位置がな、割れたらしい。明日の目標はそこに絞るそうだ」
明日の作戦というのは現在確認されている遺跡の内、製造工場と思しき施設を有する場所全てに同時攻撃を仕掛け、一気に叩くというものだった。
だから、それが可能なだけの戦力が集められたのだ。ある意味作戦も何もあったものじゃない。
しかしそれら施設を動かしている大元の施設の所在が割れた、というなら話は別だ。
「規模の大きな製造工場と同時に、その大元を叩くらしい。そのための部隊編成を練る時間分、ミーティングが遅れるってよ」
「なるほど」
「じゃ、俺は先に食堂行ってるぜ。腹減って死にそうだ」
潮が引くように、エニーの体から発散されていた戦闘本能というか、破壊衝動というか、とにかくそれが消えた。
「俺の席も確保しといてくれ」
「あいよ。確保するまでもないと思うけどな」
「確かに」
背を向け、軽く右手を上げて振りながらエニーは歩き出した。踏み出す度にゴムで束になった金髪が尻尾のように跳ねる。
改めてエスティの方を見やる。こちらも調べが済んだようで、すぐ近くまで来ていたシースを見つけて歩いてきた。
「どうだった?」
期待半分、諦め半分といった声音で聞くと相変わらず感情に乏しい声で、
「ダメだ。ない。換えの武装が必要だな」
淡々と告げた。
「そうか・・・。明日の役回りによっても違ってくるし、ちょっと遅くなるとは思うがブリーフィングの後に伝える。・・・かまわないか?」
エスティは無言で首肯した。
「タロスが必要なら、俺のを使うといい」
突然横合いから聞こえたのは知らない人間の声・・・というわけでもない。生で聞くのは初めてだが、間違いない。クロノスだ。
振り向いた先の彼は、長身の部類に入るシースよりもなお背が高かった。分厚い黒シャツの上にタクティカルベストを着用し、シースと同じアークからの支給品である迷彩のズボンとブーツという出で立ちだ。
年齢不詳な怜悧な風貌にすっきりと切り揃えられた黒髪を持ち、右目の上だけがそれ自体光を内包したかのようなシルバーに染まっている。そこだけがやや長く伸びていて、瞳を隠そうとしているかのようだ。そして一見しただけでは分からないが、その瞳は左右で色が違った。左は黒だが、右は深い藍色をしている。
「クロノス・・・あんたは月光じゃなかったか?」
「ああ、今はな。だが以前はタロスを使っていた。もう使うことはないだろうとは思ったが、一応取ってあったはずだ」
「ありがたい。明日の作戦で外回りじゃなければ装備させてもらう」
エスティと同じく物腰は静かで、あまり動きの無い表情だ。しかしその圧倒的な存在感は、彼がトップクラスのランカーであること、即ち人類の最強クラスの戦力であることを思い知らせるには十分だった。
そのクロノスの表情が不意に険しくなった。目を細め、奥の機体を凝視している。何事か、とシースとエスティが視線の先を追う。
蒼い、シースとよく似た構成の機体。それはエヴァンジェの愛機、オラクルだ。その足元にクレストの兵隊が着る制定服を着たエヴァンジェ本人が立っている。
そして駆け寄る、パイロットスーツに身を包んだ1人の女。
「あの女は・・・・・・・・・っ!?」
間違いない。こちらも見るのは初めてだが、あれはセリアだろう。
30メートル以上離れているが、シースの視力はその威力を如何なく発揮した。
セリアを視界に収めたエヴァンジェの表情が驚愕に彩られ、呆然と何事かをつぶやき、セリアが一歩前に出て縦に長い皮袋のような物を差し出し、エヴァンジェがそれを受け取り、首にかけていたペンダントを外して・・・ここから先は、とても俺の口では語れない。エヴァンジェのためにも、黙っておこう。
「いったい、どういう関係なんだろうな・・・というか、見たまんまの関係か」
「さぁ、な。だが俺たちには関係のないことだ。当人たちが納得しているなら、それでかまわんだろう」
その光景をしばらく眺めたあと、医療区画の方に何か用事があるらしいクロノスと別れてガレージを出た。
そういえば席を取ってくれとは言ったが、肝心の食料は残っているのだろうか。まぁ、その心配も実のところ必要ないとは思うのだが。


〜15分後 ベイロードシティ下層・レイヴン専用食堂(仮)〜
2ヶ月前から常駐するようになったレイヴンのために作られた食堂は、数日前に改造を終えていた。明日の作戦のために集まる大勢のレイヴンとその関係者を収容するために、本来はただの資材置き場だった空間を徹底的に改造したのだ。
そう、あくまでも「改造」である。
コンクリート打ちっ放しだった壁をとりあえず鉄板で覆ってベージュのペンキを塗りたくり、床には同色のタイルを敷き詰めてある。急遽設置された天井の照明からは黒い電気ケーブルが何本も垂れ下がっており、部屋の端に開けられた不自然極まりない穴に全て突き刺してあった。
そして何の捻りも無い鉄の板をただ支柱に載せただけの簡素を周回遅れにしたような8人掛けのテーブルが整然と、しかし怒涛のように並んでいる様は、かなり異常だった。ちなみにイスは全てパイプイスである。
全体の印象としては、刑務所のそれに見えなくもない。
乾いて間もないペンキの刺激臭や、テーブルから漂う加工後それほど時間の経過していない鉄特有の甘ったるい臭気は、食事の場としての機能を猛烈に低下させていた。
大半のレイヴンがその待遇に不満を持つ中、その環境を歯牙にもかけないツワモノもいる。
「総合的に判断すると、シースってやっぱり男色なのか?言っとくが俺はノーマルだぞ」
「エニー、そのネタはもう8回目だぞ。正直、数えてる自分もどうかと思うが」
この二人である。他に食事をしている関係者は、いない。それぞれに個室が割り当てられている以上、何も監獄プチ体験の様な食堂で食事をする必要はないのだ。
「だって、そのルックスで浮いた話がないってのはおかしいよ、絶対」
盛大に湯気を放つ、ギャグとしか思えない量のシーフードスパゲッティ(少なく見積もって4人前。ただし残り物)に対して余りにも非力なフォークで果敢に挑みつつ、エニーは諭すように語る。
「やかましい」
応じるシースも「食い逃げ御免」クラスの小山の如きカレーライス(おまけに魚肉ソーセージを2本つけてもらった)を胃に収めるべく、誰かが「スプーン曲げ」を実行した後に戻したと思しき微妙に歪んだスプーンで突撃する。
「つか意図的に避けてるだろ、お前。前もほら、受付の人の」
「あれはあっちが勝手にメールだけ送りつけて舞い上がってただけだろうが。名前も知らんようなヤツの誘いに誰が乗るか」
口にモノが入っている上に手も動いているが、双方の声は明瞭この上なかった。こういった事態に慣れているのだ。ダテに付き合いが長いわけではない。
「だからって連絡も入れないで放置ってのはいくらなんでもあんまりじゃない?」
「んな義理は無ぇ。だいたい、あいつに俺の私用アド教えたの、実はお前だろ。いや、むしろ疑う余地とか欠片も無くお前だ」
無意味に聞こえないフリを決め込みつつ、エニーの手が素早く大皿の横に置かれた水に延びる。一気に半分ほど流し込んで、熱の溜まっていた喉を瞬時に冷却する。
「それに斜向かいに住んでた、ほら、あの子なっていったっけ。あの子だってお前のことが」
「誕生日にキクの花贈るような、反社会思想誘発型逆走思考回路搭載兵器はいらん」
・・・さすがにエニーの手が止まる。
「久しぶりに“シース節”聞いたけど、相変わらずぶっ飛んだ表現だな。よくもそんな舌噛みそうなセリフをスラスラと・・・。しかも全然意味わからんし」
エニーの評価を軽く聞き流しつつ、シースの腕は無慈悲なまでに正確に皿と口を往復する。一向に山が崩れる気配は無いが、その一角が徐々に切り崩されてゆく。
と、エニーが目を僅かに細め、口を三日月のように細く釣り上げる。邪笑だ。
「まぁ、お前がサヤちゃん一本なのは俺も分かってるからな、強くは言えないけどさ」
・・・精密機械の如き精度を誇っていたシースの腕が皿と口の中ほどの中空で停止する。一心に皿を見つめていた黒い瞳が、何がしかの感情のうねりを伴ってエニーに向けられる。
瞬間、シースは満面の笑みを浮かべて見せた。次いでシースの唇が動く。
「・・・つまりこのブドウはいらないと。つきましては俺様に献上して差し上げますと、そいういうことか」
残像が残るほどの豪速で繰り出されたシースの左手が巨大なスパ皿とカレー皿に挟まれて所在無げだった小皿を掠める。小皿に載せられていたはずの紫色の粒が、ごっそりと消え失せた。
それは、植物プラントの機能不全で希少となってしまった―――巨峰(種無し)だった。エニーの好物であり、残り物として入手できるのは奇跡と言ってもよかった。
「あぁっ!?貴様、よりにもよってソレを喰うかっ!?」
悪魔とエロオヤヂ中間点のような笑みを浮かべていたエニーが大慌てで小皿を改める。1ダースあったはずのブドウは、9個ロストしていた。
一瞬で9個ものブドウを片手に収めて強奪した敵の手腕に驚嘆しつつ、
「一口で・・・3つも喰うな!!せめて味わえ!!」
今にも泣きそうな声で怒鳴った。空しい訴えは食堂中を反響して回り、そのまま容赦なくシースに飲み込まれた。
「あーうめー」
棒読み。逆に演技力を要求されるほどの棒読みだった。
感情の抜け落ちたセリフとは裏腹に、表情の方は真夏の空のように晴れ渡っている。実際に美味いというのが2割、残りの8割は青ざめて小刻みに震えるエニーの顔のためだ。これは比較的珍しいシチュエーションである。
瞬く間に、6個のブドウが屠られていった。
苦々しく、吐き捨てるように、
「くっ、人がせっかく真人間に戻してやろうと思ってお前の破綻した性格についていけるような頑丈な女の子紹介してあげようと」
「巨大なお世話だっ!!」
9個目を飲み込んだ瞬間、笑みをひっこめてシースは吼えた。
「黙れ、この不能っ!!」
負けじとエニーも叫び返す。
その後数分、信じられないほど低レベルな言い争いが続いた。いつの間にやら、フォークとスプーンも動き出していた。
どこをどう辿れば行き着くのかは海よりも深い謎だが、2人が言い争うと必ず以下の様な結末を迎える。
「俺の下限は13だ。上限はかなり高めに設定してあるけどなっ」
「威張るな、どアホ。主に下限。年々下がってるじゃねぇか」
「なっ、お前13をバカにするなよ。女性というものはだな」
「貴様の女性観など聞きたくもないわ。むしろ聞き飽きたっ!!」
ここでお互いを睨み合って膠着状態に陥るのが常なのだが・・・今回は違った。思わぬ第三勢力が出現したのだ。
ピン、ポン、パン、ポーン。
それは長きに渡り、特に意味も無く受け継がれてきたひとつの合図。放送だ。
元々はただの物置だった食堂にスピーカーがあったはずもない。2人の視線が吸い寄せられるように向かったのは改造時に設置された大型スピーカーであった。一つのテーブルを丸々占拠しており、設置方法がどこか投げやりだ。
『10分後、ブリーフィングを行います。配布物もあるので、可能な限り速やかに下層の講堂に集合するようにお願いします。以上』
ピン、ポン、パン、ポーン。
恐ろしく簡潔な放送だった。
「今の声・・・やっぱり・・・か?」
確認するエニーの声には微かな怯えが含まれている。
シースは目だけで肯定を示すと、
「間違いない。“フィル姐”だ」
エニーは喉を鳴らして生唾を飲み込み、ブドウの時以上に青ざめた唇を振るわせる。
ただでさえ真っ当とは言えないAC業界の、さらに裏側。クレスト専属レイヴンとしてアークに登録することすらなく活動してきた女性レイヴン「アグラーヤ」の年の離れた妹。それが「フィルイーズ」だ。
彼女はミラージュに潜伏して諜報活動を行うことで姉や育ての親であるジノーヴィーと共に戦ってきた。
スパイとしてはもとより、レイヴンとしての腕前も姉に比べて遜色はないと言われているが、実際に戦ったことがある者は極少数。ACを駆ることが極端に少ないため、育ての親であるジノーヴィーと姉のアグラーヤが訓練時に戦ったくらいなのだ。・・・練習相手としては十分過ぎる相手だが。
そして例外が、エニーだ。彼はよくストレス解消のために「訓練」に付き合わされる。
シースを引き取る際に「親父」がシッポを掴んだスパイがフィルイーズであり、当然それ以来「親父」含めそのことを知るレス家には頭が上がらない。そのまま連鎖してアグラーヤ、ひいてはジノーヴィーまでパイプが繋がる。
同じミラージュにいる以上「親父」やシースと顔を合わせる機会も多い。別段二人共何か強請ったりしているわけではないが、頼まれると断れないという事態が発生する。そうして、いよいよストレスは溜まってゆく。
直接関係のない、しかもプライベートではシースと一緒にいることの多いエニーに当たるのも道理というものだ。そしてまた、エニーがフィルイーズを苦手とするのも道理というものである。最も、フィルイーズの性格そのものが原因でもあるのだが。
いつしかその関係は「親分」と「子分」のようになってしまっていた。
例えばもし、ブリーフィングに遅れたとすると、
「やっぱり、フィル姐の物理的愛情表現を受けるハメになるんだろうな・・・。がんばれ、エニー」
「ヒトゴトみたいに言うなよ」
「だってヒトゴトだし。まぁ、フィル姐は置いとくとしても、ブリーフィングに遅れるのはまずいな。さっさと食うか。ほれ」
皿の下に隠れるように置かれていた銀製のフォークをエニーに突き出す。憮然としながらもそれを受け取り、エニーはひとつ深呼吸をした。シースも同じく皿の下からスプーンを取り出す。
二人のそれは、おばちゃんが渡してくれた「取り分け用」のもので、通常の約3倍のサイズだ。普通なら口に入れるのも苦労するほどのサイズである。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
示し合わせたかのように視線を交差させて静止。元々誰もいなかった食堂は静かだった。二人の言い争いと食事の音しかなかったのだが、それすら消えた。
「残り」
「9分」
そして二人はまたも同時に頷き合う。
シースとエニーは自らの右手に握る“エモノ”を一直線にそれぞれの“戦場”に潜り込ませた。そして抉り取り、まるで恨みでもあるかのように口の中に押し込む。
かくして二人の座るテーブルは仁義(ついでにマナーも)無き無法地帯と化した。


〜きっかり9分後 ベイロードシティ下層・多目的講堂〜
食堂から程近い位置にある講堂は凄まじくボロかった。とは言ってもさすがに食堂よりセンスがないということはない。ボロくなかった頃はちゃんと講堂として機能していたのだろうな、と思わせる程度には装飾やら何やらに気を使っている。
「あの量をあの時間は、最高記録かな?」
「ああ、間違いない。これでまた俺たちはひとつレベルアップした」
「次は、丸々全部を10分で、かな」
「そうだな」
何かを成し遂げた者に特有の爽やかな達成感を漂わせながら、二人は妙な会話をしていた。とはいえ周りの人間はそんな二人に毛ほども意識を向けていない。それどころではないのだ。
『その表は明日の部隊編成です。武装の変更やそれに伴う相性の変化を考慮した上で組まれていますが、誤りや問題があれば報告してください』
マイクを握る女性は淡々と告げる。
全員に回された紙の束にはパイロット名とAC名、大まかな機体の特徴などが書き込まれていた。そして、それらは3つのグループに分けられていた。
『ACほぼ全機を投入しての殲滅戦を行う予定でしたが、状況が変わりました。本日新たに確認された大型―便宜上“ホロコースター”と呼称します―これの残骸より取得したデータや侵攻ルートから司令塔の役割を果たしている施設が特定できました』
そこで女性は一旦言葉を切り、手元のパネルを操作して講堂正面に設置された縦横15メートルはあろうかという巨大なスクリーンにホロコースターの画像を表示させた。サヤが衛星を利用して撮影したものだ。
『ホロコースターはこれまでのものとは開発コンセプトが明らかに違います。ファントムなどと比較しても、火力、装甲の2点は比べるべくも無く、地上における機動力も段違いです』
今度は動画だ。シース機の画像に混じって、所々セリア機のものもあった。
一度は逃げようと試みたものの失敗していた。その時のセリア機の時速は一般的なACと比較しても遥かに速く、ホロコースターはそれに易々と追いついている。ホロコースターの機動力が高いということを頭では分かっていたシースだったが、さすがにその画像には驚嘆せざるを得ない。
『現時点で集まったホロコースターの情報は追って各人に転送します。目を通しておいてください。・・・さて、話を戻します』
スクリーンの画像が消えて再び視線が彼女に集中する。その眼光たるやそれだけで気死するほどの圧力を持っていたが、彼女は気にした風も無く説明を再開した。
『本日の浄水場や発電施設、その他の施設への襲撃は偵察の意味合いが強いと思われます。もちろんここベイロードシティにもホロコースターが向かっていた以上、警戒する必要があります』
パネルを操作すると、今度はベイロードシティを中心とした地図がスクリーンに表示された。所々にマーカーが表示されており、その横にPやAといったアルファベットと数字が並べて表示されている。
『これは今日一日の間に襲撃があった地点とその規模を入力したものです。見ていただければ分かると思いますが、襲撃された地域の数も規模もそれほど多いわけではありません。問題は狙われた施設の重要度です』
ベイロードシティを含めた大型シティ、浄水場、発電所、植物プラント・・・いずれも旧世代側に対抗するために、そして人が生きていく上でこの上なく重要な施設ばかりだ。
『これは、旧世代側に我々の要所が知れている、と考えるべきです。恐らく、我々がここに集結して何を為そうとしているかもすでに察知されているでしょう。むしろ察知したからこそ、こうして偵察をしたのではないか、とも考えられます。
しかし我々も相手の弱点をようやっと知ることができました。そこを攻略するに足る戦力も、揃っています。ですがやはり相手にも同じことが言える以上、用心する必要があります。そこでこの部隊編成です』
中枢へのアタック部隊は極少数。ただし面子は、恐ろしいと言えるレベルだ。間違っても相手にはしたくない。その他の生産工場の攻略に回されたのも、それなりに腕の立つ者ばかり。
そして、
『ある意味一番重要なのが、この部隊です』
各要所の防衛のために「留守番」をする部隊。半数近いレイヴンの名がそこに記されている。
『いくら中枢と工場を破壊しても、こちらが破壊されては意味がありません。それにどちらも作戦領域の大半が室内となります。いたずらに機体を増やせば、かえって回避行動が取れないなどの弊害が出るでしょう』
もっともな話だった。
室内の兵器は、何もMTばかりではない。固定砲台や浮遊機雷、トラップにダメージフィールド。それらが配置されている可能性を考慮にいれると、通路がACで埋まっているというのは問題だ。
その後しばらくの間、ブリーフィングは続いた。自分の能力や機体の特性、データだけでは測れない「生」の声の応酬。本来協調性などまるでない者が多いこの業界に身を置く者としては、感動を覚えるほどの異常さだった。


結局ブリーフィングは8時過ぎまで続いた。
機体のチェックや装備換えのために、大半の関係者が部屋を出ていた。残っているのは片付けをしている人間と、
「シース・・・俺らの配置って」
「ああ、俺も驚いた」
何度読み返しても揺るがない事実に驚愕する二人くらいだ。
そこに書いてあることを要約すると、こうなる。
『シース・・・中枢・・・クロノス隊』
『エニー・・・中枢・・・ジノーヴィー隊』
つまり二人は「極少数」の中に選ばれていたのだ。
自分たちを弱いとは思わない。確かにレイヴンになって日は浅いがそこらのレイヴンより場数は踏んでいる。
しかし、だからといってジノーヴィー、クロノス、エヴァンジェ、その他室内戦に適した上位ランカーが顔を揃える中に並べれば、間違いなく見劣りする。
「どういうことだろうな・・・」
「さあ、な。まぁ、なるようになるだろう。選ばれたからには、それなりに理由があるだろうしな」
軽く肩をすくめてあっさりと返答し、シースは席を立つ。
中枢の防衛機能がどの程度のものなのかが分からないなら、今悩んでも仕方が無いことなのである。ならば、とっとと部屋を出て準備するなり休むなりした方が有意義である。
事態を把握する前に、事態に対処する。
それが彼のスタイルなのだ。決して出たとこ勝負というわけではない。
「ううむ・・・」
柄にもなく真剣に考え込むエニーとて、決して怖気づいたりしているわけではない。むしろのその瞳には、例の危険な輝きが灯っている。
ただその編成に、陰謀めいたものを感じているだけである。
「あ・・・もしかして姐さんがどさくさに紛れて俺を亡き者にしようという策略を巡らせふぉぐっ!?」
「どうしたエニー。そんな、音もなく背後に忍び寄ったフィル姐に首絞められたような声出して」
「うぐぅ・・・」
気づいてたなら言ってくれ。ブリーフィングに遅刻はしなかったものの、結局受けることになった「愛情表現」で今にも昇天しそうなその瞳が、必死にそう訴えていた。あの眼はどこにいった、エニー。
「どうせならこの場で亡き者にしてあげようかしら」
エニーの耳元に唇を寄せて非常に物騒なことをのたまう彼女の顔も声も笑ってはいるが、エニーの首に絡み付いた腕には冗談抜きで力がこもる。
「まぁあれだ、フィル姐。明日の作戦に支障が出るのも面倒だし。とりあえずその辺で」
「それもそうね」
少しつまらなそうに腕の力を抜いて、半歩下がる。絞められることで成り立っていた体位が崩れて、力尽きたエニーはその場に膝をついた。
マイクを握って明日の作戦について説明していた時のような理知的な雰囲気は無い。どちらかというと子供っぽい。年齢を尋ねれば撲殺されること請け合いだが、少なくとも三十路は越えていない。せいぜい26か27といった所だろう。
薄くブラウンに染めた髪はクセ毛を理由にショートカットにされているが、先端部分が上向きに跳ねるのは矯正できていない。髪と同じ色の瞳はやや釣り目がちなのだが、それは間違いなく性格のせいだとシースは密かに思っている。
身長はさほど高くないが美人と言って差し支えない・・・はずなのだが、化粧気はもとより色気もない(などと言えば生まれてきたことを後悔させられる)のでどうしても男っぽいイメージがついてまわる。
唯一、比較的自己主張の強い胸だけがかろうじて女であることを示している、そんな人だ。
「かはっ・・・」
かなりいい具合に呼吸困難だったためか解放されてもしばらくうまく息が吸えていない様子だった。もう少し強力な「愛情表現」だったら、気管が潰れていたのかもしれない。
「姐さん・・・何だか最近技に磨きがかかってない?日々ダメージが上がっていくんだけど・・・」
ふらつく頭を左手で支えながらよろよろと立ち上がる。どうやら「日々」愛情表現を受けているという不条理極まりない現状は諦めているらしい。
ひとまず恨めしそうな視線をフィルイーズ・・・ではなくシースに向ける。
「フィル姐本人を睨まない辺りが、そこはかとなく弱気だな」
軽く腕など組みつつフィルイーズが考え込むような素振りを見せる。
「そうねぇ・・・とりあえず、自分への愛が日毎に増してるんだ、と思って納得してみない?」
にっこりと、それだけ見れば相当魅力的な笑顔で、それだけ聞けば愛に溢れた言葉を舌に乗せる。
「納得すると何かが終わる気がするよ、姐さん」
やはり視線を逸らしたままでエニーは応答する。
あれだけの量のスパゲッティを胃に収めているにもかかわらず、げっそりした感すらある。心なしか、後頭部にまとめた金色の尻尾が力なく垂れているようにも見える。
「ま、いいわ。ところであなたたち、やっぱり中枢担当になったのは疑問?」
それはそれで悪戯っぽい表情で、しかし目だけは何か探るような雰囲気を漂わせている。
「それなりには、ね。こいつはフィル姐の陰謀だと思ってるみたいだけど、一応理由はあるんだろ?」
軽く嘆息して、
「さすがに私の気まぐれで編成は組めないわよ。確かにエニーは私と同じ隊だけどねー」
結局は無邪気に笑って見せた。「無」邪気かどうかは微妙なラインだが。
「なっ・・・」
食堂でブドウの皿を改めたときと同じように大慌ててで資料を見直してその事実を確認すると、エニーはがっくりと肩を落とした。
「陰謀だ・・・絶対に姐さんの陰謀だ・・・今度こそ殺され―――」
「やーねー。一応は味方なんだから、後ろから撃つようなマネはしないわよ。でも、爆風には気をつけてね♪」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
シャレになっていない。
爆発物を多数装備している彼女のACを知っている二人は、背筋に冷たいものが伝うのを感じた。あんなものを室内でぶっ放されたらどうなることか。
「あなたたちが中枢に回されたのは、もちろんその実力を見込まれてのことよ」
凍りつく二人を見て、取り繕うような笑顔を見せつつ話題を戻す。
「でも俺たち、どう考えても見劣りしてると思うけど」
謙遜でも何でもなく、シースは思ったままを口にした。エニーも顔色はまだ優れないが、その点には同意の意思を示した。
しかしフィルイーズは頷くと、嬉しそうに笑う。
「その辺の、何て言うのかな、自分の実力が分かってるってのは大事なのよ」
「いや、分かってるも何も、このメンバーだったら誰だって・・・」
「単純にアタック力だけならね。じゃあ聞くけど、あなたたちこれまでの作戦成功率何パーセント?」
『100』
「ほらね。アテにならない依頼文から可能な限りの情報を読み取って、実際にどういう事態なのかを予測できる力。その上で自分の手に余るようなミッションを請けないっていうのも、レイヴンとして重要な能力よ。あなたたちにはそれがある。今回選ばれたのは、その辺りも理由のひとつよ」
そこで一拍置いて、フィルイーズは二人の顔を順に見つめる。色々とツッコミを入れるべき所はあるのだが、二人はそのままフィルイーズを見返した。
「例え10の能力を持っていても、無謀な行動で大破すれば0。対して8の能力を持つあなたたちは、撃破されなければずっと8。私なら迷わず8を選ぶわ。
それに連携次第で8は10にも12にもなる。複数機でのミッションに慣れているあなたたちは、その点でもうってつけなの。チームの“和”ってものが分かってないバカには、務まらないのよ」
どれもこれも、シースとエニーの二人にしてみれば無自覚に、つまり自然にやっていたことだ。評価されるようなことだとは思っていなかったのである。それは逆に、ハイセンスであるということの証明でもある。
「それだけじゃないわよ。機体の相性も関係あるし。それとこれは私の考えだけど、やっぱり一番評価されてるのはいざって時に切り抜けられる、潜在能力の高さじゃないかしら。窮地に陥った時にしか出せない“本当の実力”ってやつもあるからね」
二人とも心当たりがあった。いわゆる修羅場、というやつだ。
こちらはシースとエニーの二人。対する敵はMTが20に航空機15・・・戦闘中に増援が到着、上位のランカーACに加えて対AC用MTが10機余り、などという事態を切り抜けたこと、むしろ全てを返り討ちにしたこともある。ヘリで回収された時には、二人とも弾切れでブレードしか残っていなかった。
そのような事件をネタにアークの情報掲示板に二人の名前が載ったことは、一度や二度ではない。大概「まぐれ」という結論に落ち着いていたが、何度も続けば「まぐれ」ではなくフィルイーズの言う「実力」だ。
「そんなもんかね・・・。姐さんが言うからにはほんとなんだろうけど」
いずれにせよ、持ち上げられている気がしてならないシースとエニーであったが、フィルイーズにここまで褒められるのは初めてである。実はちょっとうれしかったりする。
「ま、細かい説明はまたあとでやるし、今は休んでなさい」
ここへきて初めてフィルイーズは年上の姐さんらしい微笑を浮かべた。滅多なことでは見れないその表情に、普段から「女っ気がない」と言っては殺されかけているエニーですら見惚れた。
(ああ、そうか)
中枢に回されて動転しているかもしれない自分たちを気づかって、こうして励ましてくれているのだと、シースは今更気がついて声には出さずに、感謝した。
「そういや、クロノスからタロス借りなきゃならんし・・・ハンガーの方に届いてるといいんだが」
見回しても人はまばらで、講堂にクロノスの姿はない。整備のエスティの姿も既にない。
(案外、もう取り付けまで終わってたりしてな)
「じゃ、姐さんまた後で」
「ええ、後でね」
考え事をしていたシースは気づかなかった。
見つめていたエニーは気づかないフリをしていた。
「クロノス」という単語がシースの口から出た瞬間、フィルイーズの瞳にエニーのものとは違う危険な光が灯ったことに―――


〜PM8:22 ベイロードシティ居住区B2・レイヴン専用区画〜
昼に出たきり一度も帰っていなかった部屋には重い冷気が溜まっていた。
所詮は今回の作戦のためにあてがわれたシャワーとトイレがついているだけの個室に過ぎず、身の回りの物などほとんどない。最初からあった安物のワークデスクが灰色の壁に寄せられ、肘掛とキャスターのついたイスがそこに納まる。あとは何の変哲も無いベッドと、内線電話が壁に設置されているだけだ。
シース自身が持ち込んだ物はノートパソコンが一台と白のスミレが植えられたプランターが一つ。衣服はほとんど持ってきていなかった。
ひとまずはタオルを引っ掴んでシャワー室へ入り、戦闘でかいた大量の汗を洗い流す。ついでに軽く筋肉もほぐしてから部屋に戻った。
ベッドに放置してあったジーパンを穿き、乱暴に頭を拭きながらノートの電源を入れる。OSの起動に数秒、その間だけ冷却液が循環する音が静かに流れる。皆の前ではおくびにも出さなかったが、シースにはどうしても調べておかなければならないことがあった。
「D.S.S.」
ホロコースターが放った青の力場によってエネルギーを奪われた際に、サヤが口にしたワード。別にフィルイーズを始めとする上層の人間に話してもよかったし、むしろ話すべきだったのだろうが、シースはそれをしなかった。無駄によく当たる「嫌な予感」があったのだ。
「起動」というからには最後のSはSystemのSだろう、という所までは想像がつく。が、もちろん通常の機体にそんな略号になるシステムは積まれていない。とすれば狙撃モードのように、サヤが独自に作り出したシステムなのか。それとも「監視者」によってあらかじめセットされたシステムなのか。いずれにせよあの青い力場に対抗できる手段であることは間違いない。
ネームレスヴァイパーとノートをリンクさせてサヤの持つ情報を引き出すつもりだった。聞かなかったから何も言わなかったが、サヤはそのシステムについて少なくともシースよりは詳しいはずだ。
接続・・・本人確認ワード・1・・・旧世代人・・・本人確認ワード・2・・・White Violet・・・パスナンバー・・・****―****―****―****・・・パスワード・・・*********・・・専属パイロット・シース=レスと確認。情報の閲覧を許可。
自分で設定した接続に必要な情報を次々に打ち込み、サヤの持つ情報の全てを表示させる。
次いで、件のワードを打ち込んで検索をかける。ガリガリと耳障りな音を立てながらノートが検索を始めた。情報量は膨大だ。すぐに見つかることはないだろう。
(洗濯でもするか・・・)
この部屋からは少々遠いがコインランドリーがある。もっとも、今は無料で使い放題なのだが。
(30分もあれば終わるよな)
かなり余裕のある白いTシャツを無造作に着、汗に濡れて重量の増した洗濯物を丸めて抱えてシースは部屋を出た。


両開きで半透明の自動ドアの向こうには、壁一面の丸い小窓。中央で様相が変わるのは、そこを境に洗濯機と脱水機とに分かれているからだ。部屋の中央には長い鉄フレームの簡易ベンチがくっつけて並べられている。天井のライトから降り注ぐ白が、そこだけくっきりと陰影を作り出していた。
先客がいた。座席部分がプラスチックという簡素なベンチに腰掛けてぼぅっと脱水機を見つめている。
入り口が開くかすかなスライド音に気づいてその先客が、
「あ・・・」
どこか間の抜けた顔と声を伴って振り返った。
「おう」
何が、おう、なのかはさて置き、ざっとその先客を観察してみる。
服はどこから調達したのか、白いワンピース。首には木製のクロスがかけられている。エヴァンジェが身につけていたものだと気がつくのに、時間はかからなかった。ロクに手入れがされていないことが明白な栗色の髪を肩の辺りまで伸ばし、緑色の大きな瞳をぱちくりとさせている。肌は、着ているものと同じくらい白かった。
「セリア・・・だな?」
帰還時にガレージで見かけた女だ。視力と記憶力には自信がある。
口を半分ほど開きかけた所でこくこくと首を縦に振る。相変わらず、すぐに言葉は出てこないらしい。
年は17ということだったが、それにしても幼・・・若い。というか、小さい。色んな意味で。
「・・・」
「・・・」
ほぼ初対面、しかも片方はどういうわけか話すのが苦手な女。もう片方は根本的にコミュニケーション不全の男。当然、会話が弾むはずも無い。
かといって入り口に立ったままで硬直している理由は何もないので、近くにある洗濯機に持ってきたものを放り込んでスイッチを押す。あとは全自動だ。
その間セリアは緊張した面持ちで、回り続ける脱水機の小窓を見つめていた。膝の上に硬く握って置かれた拳が、小刻みに震えている。
(・・・俺がそんなに怖いか?)
確かに目つきはキツいので、人相はかなり悪いと思う。エニーに「眼ぇ合わせたら殺されそうだな」と何度も言われている。お前の眼の方がよっぽどヤバイっつの。
(それにしたって、何も顔面蒼白にならんでもいいだろうに・・・)
しばらく同じベンチの両端、お互いの洗濯物が回っている機械の前に座っていたが、
「・・・」
「・・・」
沈黙が耳に痛かった。別にエヴァンジェの話などを振ってみてもいいのだが、こうまでガチガチに固まられるとそれも憚られる。
ちら。
「・・・」
ちらちら。
「・・・・・・」
ちらちらちら。
(新種の嫌がらせか?)
まるで監視でもしているかのように、瞳だけを素早く動かしてこちらを見ている。恐らくは、セリアも対応に困っているのだろう。見事な悪循環だ。
そうして待つことしばし。セリアの脱水機が止まる・・・と同時に、弾かれた様にセリアが立ち上がる。勢いが強すぎてベンチが大きく軋んだほどだ。
「・・・」
何とも微妙な心境だ。悪気とかはないんだろうけど。
脱水機から取り出したのは、色褪せた4Xかそこらのどデカイ黒のTシャツと紺色に近いジーパン。その他子供用と思しきもの多数。問題は(他のもかなりの勢いで問題だが)そのシャツとジーパンだ。
見慣れた組み合わせ・・・エヴァンジェの私服だ。
「・・・・・・・・・」
気になること、もとい問い詰めたいことが色々沸いたので思わず尋ねようとしたが、セリアが泣き出しそうな顔をしているのを見て止めざるを得なかった。先ほどのような怯えとはどこか違う様相だ。
「ど、どした?」
二度三度口をパクパクと酸素を求めて喘ぐかのように動かした後、あくまでも目は合わせないで話し始めた。
「あの・・・その・・・怒らないで、下さいね?エヴァにも止めとけって、言われたんですけど・・・これだけは、やっぱり伝えておきたいです」
一々途切れながらではあったが、戦闘中のように単語の途中でぶつ切りになることはなかった。
(・・・何だ、まともに喋れんじゃねぇか。というか、エヴァってのはエヴァンジェのことか?そう呼ぶ奴はあの子達くらいしか知らないが)
と、なぜかセリアは表情を一変させた。文字通り哀願するような瞳で、憂いを秘めた儚げな声で続ける。
「理解できなくてもいいんです。でも、覚えておいて欲しい・・・」
ともかく謎な言動が多い。何かの実験の被験体である以上、その影響で頭がマイクロウェーブで沸いている、という可能性も否定できない。つまり、電波かもしれないわけで。
しかし、次の言葉は、
「あなたは、独りじゃない。仲間たちに出会うより前から、二人は一緒だった」
なぜだか、胸の一番深い部分に突き刺さった。
ごぅんごぅんと回る洗濯機の音に紛れるように、きーんと耳鳴りがした。
「何を・・・」
「あの人は、生贄なんかじゃない。生贄にさせちゃいけない。二人で、一つ。独りじゃ無理」
視界が揺らぐ。頭が痛い。息が苦しい。汗が吹き出る。言葉を頭で理解するより早く、体が反応していた。ホロコースターとの戦闘で「約束」を思い出しかけた時と同じ、焼ける痛みが鋭く脳を貫く。
逸らされていた緑色の双眸が、ぴたりとシースに据えられた。
「あの人は、いつもあなたの傍にいる。あなたを守っている。守りたいと願っている。・・・でも気づいてあげて」
揺るがない瞳。何者をも恐れぬ、意思と想いを秘めた眼差し。痛みのせいで、殺意すら込められていると思えるほどに凶悪なシースの眼光にさらされても動じない。それがセリアの持つ強さだった。
「“守られたい”とも、願っていることを・・・」
言葉が終わると同時に、痛みも引いた。そしていくつかの鮮明なイメージが残った。白い花。白い部屋。白い機体。白い・・・女?
セリアは洗濯物を抱くようにして胸に抱えたまま、わけもわからず硬直するシースをその瞳に映し続けていた。伝えるべき事柄を、足りない言葉で精一杯に伝えた。頬が僅かに上気している。
やがてシースが改めてセリアを視界に入れると、
「変なこと言ってごめんなさい、でも本当なんです」
最後にそう言い残して未だ硬直の解けないシースの横を抜けて廊下を走っていった。後には呆然としたままのシースと、回り続ける洗濯機のうなり声だけが残された。


PCの中央に大きく表示された文字は、セリアの言葉でまだ混乱していたシースをさらに混乱させた。
「アクセス権限が・・・無いだと?俺に?」
サヤの持っていた情報の中に「D.S.S.」に関連しそうなファイルはいくつかあった。それを表示しようとクリックした瞬間に、サヤとの接続が切れた。アクセスする権限が、パイロットであるシースにすら無いと言うのだ。
そんなことはこれまで、ただの一度もなかった。そもそもシースにだけは、つまりパイロットにだけは従順になるようにプログラムされていたのだ。情報の漏洩を気にするなら、そんなことは絶対にしない。
今回だけ、というのは不自然だ。
(直接聞いてみる必要がありそうだな)
PCの電源を落として机の隅に追いやり、席を立つ。ベッドの上に脱ぎっ放しだった上着を手に取って袖を通し、シティ内での身分証を首からかける。これがないとガレージに入れない。
電気を消してドアに手を伸ばした時、壁の電話が暗闇に血の色のランプを点滅させながら鳴り響いた。
『クロノスだ。ガレージに来れるか?』


〜PM9:18 ベイロードシティ下層・ACガレージ〜
整備は大方終了していた。
ガトリング砲弾によってつけられた弾痕は跡形も無く消え、砂塵の舞う中での戦闘で全身に張り付いた砂の膜も拭い去られていた。あとは、欠けた部分に塗料を再塗布して終了だ。
ネームレスヴァイパーの左腕には、
「おお、タロスだ。ありがたい」
中古のはずなのに新品同様に白く輝く(若干浮いている)タロスが装着されていた。変わりに足元では無残にも口が裂け、被弾でいくつもの弾痕の残る先代タロスが運搬車に乗せられている。エスティが運転席に収まって、今まさに運ぼうという所だった。
「クロノス知らないか?」
「見ていない」
表情と同じかそれ以上に無感情な声が素っ気無く応じる。キャップに押し付けられた前髪が表情を隠し、こっちに目を向けているのかそれとも前を見据えているのか、それすらも分からなかった。
それ以上何も言わず、エスティは車をスタートさせた。胸を圧迫する、嫌な振動が大気を揺らす。
ぐるりと見回してみても、ほとんど人はいない。半数以上の機体は整備も換装も終わり、調整をしている機体とパイロット連中がちらほらと見受けられる程度。帰還時に溢れていた熱気は失せ、鋼とコンクリートが硬質な冷気を放出しているだけだ。
(先にこっちの用事を済ませるか)
ひとつ、溜め息が出た。気が重い。比例して、体も重くなる。威勢良く出てきた割には「こっちの用事」を先延ばしにしたがっている自分がいた。
ネームレスヴァイパーに乗り込んで電源をON、声紋チェックをクリア。何度となく繰り返した手順、サヤが起動する。
『どうしました?』
さすがに動くつもりがあるとは思っていないのだろう、モード変更をするかどうかも聞いてこない。それどころかコンソールが点灯した段階でピンク・・・「Talk」になっていた。
「率直に聞く。“D.S.S.”ってのは何なんだ」
『・・・・・・・・・』
機体を固定している各種アームや金具から電力供給を受けているため内部パーツも動いていない。それに戦闘時ほどではないもののコクピットは密閉されている。他の機体の整備音など、わずかにも聞こえてはこない。
だからサヤが黙りこくると、本当に静かだった。
「アクセス権が無いってのは、どういうことだ」
『・・・・・・・・・』
こんなにも複雑な気持ちでコクピットに入ったのは初めてだった。
ミラージュに頼まれての実験、反応速度等の調整、そして何よりも―――戦闘。他の思考は全て締め出して、あるいは奥底に沈めて錠を下ろして、ただ機体を駆ることにのみ神経を研ぎ澄ます。それは複雑な作業を伴うが、精神的には最も純化された状態だ。
「D.S.S.」という、未知の力を引き出すシステム。謎だらけのセリアの言葉。質問に答えないサヤ。
何もかもが未解決で糸口すら見つからず、イライラしていた。
「何故、答えられない・・・?」
声が震え、怒気を孕んでいることに気がついたが今更どうすることもできなかった。自分のすぐ傍で、自分を置いて事態が進行しているという疎外感。それは恐怖にも似ていた。
行き場のない感情が渦を巻いて体内を駆け巡る。喉が渇き、頭が痺れ・・・気がつけば、白むほどに強く握った拳が小刻みに震えてパネルを叩き、音を立てていた。
不意に甦り、痛みを伴って再生される色を失った映像。灰色の空、灰色の廃墟、灰色の道路、灰色の花・・・違う、この花は白いはずだ。その白さを守ると決めたのに、守れなかった。穢れを知らぬ無邪気を守ると、誓ったはずなのに。
「・・・っ!?」
激し過ぎる怒りが引き剥がした記憶の断片は、すぐに霧散する。もう、いつどこで何が為されたのか、それとも為そうとしたのか・・・それすら分からない。ただ、
『大丈夫ですか、シース』
心配している様子など微塵もない、少なくとも今のシースにはそう聞こえたサヤの醒めた電子音声。それがシースに冷静になる時間を与えた。瞼の裏に残る記憶の残滓を振り払い、少しだけ深めに空気を吸い込む。
「・・・質問の仕方を変える。“アレ”はホロコースターの使ったような青い力場に対抗できるシステムと思っていいんだな?」
『はい、間違いありません』
即答も即答。まるで質問される内容を先読みしていたかのように、サヤは答えた。
「それじゃあ、最後にひとつな。“アレ”は、いつでも使えるのか?何か使用に制約はあるのか?」
言い終えて、随分と似合わない声音であることに気づく。まるで、
(・・・)
・・・シースには例えが思いつかなかった。
それはシースの辞書には登録されていないような類の、ともかく、そんな声音だった。だがしかし、どこか懐かしくもあった。
今度は若干のタイムラグ。
回答に必要なデータを探している―――わけではないだろう。シースに伝えるべきか、否か。両方の場合を想定してシュミレーションを行ってでもいるのか。
『使うタイミングは自由ですが、長時間起動し続けることはできません。一回はせいぜい30秒。再度使用するにはかなりの充填時』
「・・・おい?」
パネルを今度は自分の意志で、意味は無いがコツコツと叩く。突然ブラックアウトして、サヤの声が途絶したのだ。
『彼女には悪いが少し休んでいてもらう』
「な・・・」
新しく響いた声の主は他でもない。ここにシースを呼び出したクロノスのものだ。
(いつの間に回線を・・・ん?)
『システムの使い方を教えてやる。実戦が一番だが、今はそうもいかない。バーチャルで我慢しろ』
コンソールパネルが再点灯。色は桃色ではなく、緑だ。そこに外部と回線が繋がっていることを示す「Establish」の表示はない。
『ウロボロスと“ブラン”をリンクさせた。行くぞ』
「行くって・・・どこへ」
正直、状況が一から十まで理解不能だったが、いつも通り一番初めに問題になりそうなことを聞いた。
『実際にシステムを使うのは閉所になるだろうが・・・今は旧市街をキャプチャーする。俺とジノーヴィーの戦闘後の状態なら、多少動きやすいだろう。ジノーヴィーが派手に破壊したからな』
それに、と半ば以上独り言のつぶやきを最後にクロノスとの会話は一旦途切れた。
「かっ、ぐぅ!?」
不意に、先の戦闘で感じた頭痛がぶり返してきた。ただの痛みではない。頭蓋を内側から押し広げられるような、信じがたいほどの激痛だ。脳の中心が爛れるほどに加熱し、高速回転しているのが感じられた。
『擬似ステージ生成完了・・・。目を開け、シース』
いつの間に目を閉じていたのか。ゆっくりと上瞼を持ち上げる。
「・・・何だ、こりゃ?」
まず正面のスクリーンが起動している。APゲージ、ENゲージ、機体温度、武装・・・それらの情報も表示されている。さらにはロックサイトまでが中央に表れた。これは間違いなく、
『システム 戦闘モード起動』
そんな指示はしていない。何よりも、この声はサヤのものではない。機体のOSが本来持っている電子音声だ。
おまけにスクリーンに映し出されている映像は、ガレージのそれではない。クロノスが言っていた、今は放棄された旧市街だ。目の前にあるのはコの字型の建造物・・・元は統治機関の庁舎か何かだったと聞いている。今は爆風で半分以上の窓ガラスが吹き飛び、一部熱波で溶解してしまっている。
ここは、旧世代兵器が起動する事件のほんの少し前、クロノスとジノーヴィーが一戦交えた場所でもある。そこかしこに戦闘が、それも壮絶な戦闘が行われた形跡が見受けられる。
盾として使われたのか、いくつものビルが倒壊して瓦礫の小山を築いている。庁舎はまだマシな部類のようだ。道路という道路にグレネードランチャーのものと思われる弾痕・・・というよりはクレーターが残っていた。両者とも連射機構を持つ兵器は装備していないので量はそれほど多くないが、大小様々の薬莢も転がっている。
まるでたった今戦闘が終了したかのような有様だった。外に出れば空気に溶けた硝煙の匂いや熱が感じられるかもしれない。
レーダーの真正面、つまりコの字庁舎の向こう側辺りに赤い光点がひとつ。
『さぁ、始めるぞ。制限時間は・・・10分だ。それまでにウロボロスを撃破してみせろ』
「はぁっ!?」
何を言い出すかと思えば、自分を撃破しろだと?何が目的なのかまるで・・・いや、さっき何か言っていた。
(『システムの使い方を教えてやる』・・・だと?まさか)

―――「D.S.S.」のことを言っているのか?

問い質そうと息を吸い込んだ瞬間、遮るようにしてコクピット内に警告音が跳ね回る。意味は・・・「LOCKED」
機体が照準機に捉えられている。「教えてやる」割には、殺気がぶつけられている気がするのだが。
体で覚えろ、と。そういうことか?
「・・・」
瞬間、脳内から全ての疑問が弾け飛ぶ。両手が操縦桿に飛び、弛緩していた両足の筋肉が収縮してペダルを一気に踏み込んだ。
同時にレーダーの光点が赤から薄紫に。「敵機」ウロボロスが上昇したのだ。
ネームレスヴァイパーの頭部が右腕のリニアライフルと同時に、弾かれたように上を向く。庁舎越しにウロボロスを捕捉したのだ。同時に機体が少し後ろに傾く。背面部のスラスターが大きく展開されて、灼熱の炎が噴出した。鋭く、滑るように後退してその瞬間を待つ。ウロボロスが庁舎ビルの上に姿を見せる、その瞬間を―――
コンマ数秒の差。人間の感覚器官では捉え切れず「同時」と表現される時の間に、両機のトリガーが引かれる。
リニアライフルの短い咆哮を掻き消すように、庁舎の裏側で大量のミサイルが一斉に吐き出される音が被さる。エクステンションに装備した連動ミサイルをも使用した、計13発のマイクロミサイルだ。
中空を疾り抜けたリニアライフルの弾丸は庁舎ビルの縁を浅く削り、そのまま直進。わずかに上半身を見せたウロボロスの左肩の装甲に弾けた。
重量腕に属するそれに大きなダメージを与えられないが、それでも表層の装甲は剥がれた。
庁舎ビルの上を白い尾を曳きながら向かってくるマイクロミサイルは一点に集中し、一発でも喰らえばまとめて全弾喰らうという警告がシースの脳内に発せられる。
後退する速度はそのままに、右手がレバーから離れて「EXTENSION」の文字が浮かぶボタンを叩く。
「親父」の強い勧めで後から搭載された装備、ネームレスヴァイパーの両肩の装甲から真横に突き出たミサイルカウンターが展開された。蛾の燐粉のような煌きを大気に放出した後に、ミサイルの誘導を妨害する電磁場がネームレスヴァイパー周辺に張られる。
後退する機体に追い縋るミサイルがある距離に入った途端に一斉におかしな軌道を描いて飛び過ぎる。あるいはビルにめり込んで爆発を起こし、あるいはネームレスヴァイパーを避けて抜けた後、ふらふらと彷徨って燃料切れで爆発。
狂わなかった数発のミサイルもすでにオートで起動していたコアの迎撃装置によって撃ち落とされていた。結果的に、シースが避けなければならないミサイルはゼロ。二段構えのミサイル対策とは言え、これは珍しい。
ウロボロスは頭を庁舎ビルの向こうに引っ込め、ネームレスヴァイパーも下がった先に目星をつけておいたビルの陰に身を隠す。
僅かな時間の攻防で巻き上げられた煙は、市街戦としては異常に多く厚かった。クロノスとジノーヴィーの戦闘が行われた後であるため、崩れたビルなどの砕けたものまでがその一部となっているためだ。
それが晴れる頃には、廃棄されて久しい市街はもとの静けさを取り戻していた。
この戦闘の意味は?そもそも俺は今実際どこにいる?明日の作戦への支障は?突然沈黙したサヤはどうした?さらに「D.S.S.」という未知のシステムにセリアの言葉・・・減る所か増殖した悩み事は、全て後で聞くなり考えるなりすればいい。
今は、ただ目の前の敵を打ち倒すこと。
何であれ誰であれ、立ち塞がるならば叩き潰す。その基本方針は変わらない。我ながら荒っぽいが、性分だ。
焼け付くような、それでいて冷静な思考回路が音も無く動作していた。


断続的に聞こえるブースターの噴射音。同じ数だけ着地の音も聞こえ、両機共小ジャンプを繰り返していることが分かる。
ビルの陰からビルの陰へ。互いの位置をレーダーで確認しながら、遠く、近く、決して離れず、しかし互いに目視できる距離には近づかない。
建物越しに幾度となく互いをロックし、その度にまるでそうすることが礼儀であるかのように大きく動いてロックを外す。
複雑で、それ故に単調な移動と照準の繰り返し。先に痺れを切らしたのはシースだった。
思い切りペダルを踏み込んで、他のビルよりも頭一つ高いビルの屋上を目指す。爆風で路上に残されていたゴミ箱が中身を吐き出しながら吹き飛び、ずらりと並んでいたビルの窓ガラスが盛大に砕け散った。宙を舞うガラスの小片と吹き荒れた砂の檻を全身に受けて弾き返しながらネームレスヴァイパーは上昇を続けて屋上に着地、コンクリートを踏み抜いて巨大な亀裂を走らせた。
レーダーで位置を確認しながら上昇したため、すでにロックは終わっている。限界数までロックした右肩の小型ミサイル・ニンフのトリガーを引いて、放つ。白煙を粉塵に紛れ込ませながら、垂直ミサイルほどではないがやや急な角度でウロボロスの控えている背の低いビルに殺到する。これでウロボロスの頭を押さえることができたはずだ。
案の定、ウロボロスは左に移動してミサイルをやり過ごした。立て続けにミサイルの着弾音が弾け、ウロボロスの後方にあったビルが大きく振動する。
その機動によってウロボロスは2機を遮蔽していたビルから体を完全に出すことになった。その頃には、リニアライフルの照準も終わっている。
やけに空しい乾いた破裂音を伴って、リニアが発射された。
その攻撃を見越していたと見え、ウロボロスは地を蹴って勢いを殺さずに左に飛び抜けた。弾は数瞬前までウロボロスの脚部があった辺りの地面を浅く削り、抉った地面と共に破片となって四散する。
小ジャンプの要領で着地間際にブースターを吹かして反動を消し、ウロボロスは再び跳躍の動作に入っていた。そこへ再度リニアが飛来する。今度は右側にジャンプして避け、そのまま上昇を続ける。
(さすがに、そう簡単に当てさせてはくれねぇか・・・)
ウロボロスの右腕はだらりと下がっていて、現在選択されていないことにシースは気がついた。同時に、肩に装備されたカルラが口を開いていることにも気づく。
リニアに次弾が装填される前にカルラとエクステンションのフニが光を発し、真正面からひとつの弾丸と見紛う程に密集したマイクロミサイルが殺到する。
「ちっ・・・」
小さく舌打ちし、機体を後ろに反らしながら苦し紛れにリニアを発射する。同時にこちらもエクステンションを起動し、ミサイルの誘導妨害を開始。そのままブースターに点火して後退。
がくりと、体にかかる力の向きが変わる。戦闘をすると分かっていればあんなに量は食わなかったのだが、と思ってももう遅い。ACとしては細かい、または普通の機動でも中に乗っている人間には相応の負荷がかかるのだ。胃の中がいつひっくり返るとも知れない。
10発を越えるミサイルの圧迫感にひりつく物を感じながら、転げ落ちるようにビルの縁を越えた。機体が完全にビルに隠れるまでに迎撃装置が作動し、間近に迫っていたミサイルを数発落とすのと、サイトを外れたまま発射されていたリニアがあらぬ方向に飛んでビルの壁面に弾けるのを確認した。
重力に任せた自由落下中にもミサイルは迫るが、ことごとく妨害を受けて進行方向を変えてゆく。辺りのビルに突き刺さって、着地したネームレスヴァイパーの頭上に大小の破片を降らせた。
(マイクロミサイルの割にはやけにホーミングが厳しいな。誘導チップを換えた特殊弾頭か?)
装甲にごつごつと音を立てて弾かれる破片の音を聞き流しながら冷静な思考を確認し、つまり窮状なのだろうとまるで他人ごとのような感慨を抱いた。
そして、沈黙したままのサヤに思考が飛ぶ。彼女がいれば、後退した先にあるどのビルが最も遮蔽物として有効かを判断し、即座に伝えてくれたことだろう。
ひとまず広めの通路に身を隠そうと機体を傾けると、そこには機体を隠すのに丁度いいくらいのサイズのビルがあったのだが、
「っ!?」
上半分は完全に抉り取られ、いびつな形状のオブジェになってしまっていた。恐らくはジノーヴィーのグレネードの直撃を喰ったのだろう。これでは盾として使うことができない。
ウロボロスはビルをまだ越えていなかったが本能的に危険を感じ、さらに通路の奥へと機体を進めるためにペダルを踏み込む。そうして機体が進み始めた瞬間、視界に影が差した。ビルを越えたウロボロスが照明を遮ったのだ。
(上昇速度も速いな。カスタム機ってウワサはマジモンだったってことか)
機体が隣のビルに隠れるより速くにウロボロスの長大なライフルが火を噴き、大型の高速弾が飛来する。
とても、避け切れる速度ではなかった。
撃ち下ろされた弾丸は左膝の装甲に突き刺さり、関節保護のために厚みのあるそこを易々と引き裂く。機体がガクリと揺れ、さらに速度が落ちた。
当然の如くやってきた次弾が同じ場所に命中し、今度こそ完全に膝の装甲を吹き飛ばす。
耳障りな警告音がコクピットを跳ね回り、パネルに表示された自機のステータスにエラーが表示された。膝の衝撃吸収機能が破損し、さらには膝以下の部分へのエネルギー供給率が下がっていた。これでは左足の機能が失われたも同然だった。
余りにもピンポイント過ぎる狙撃―――通常のFCSでここまで的を絞った照準は不可能だ。
(・・・パーツ以外に、OSも弄ってやがるのか。このクソインチキが)
余裕が無かったので仕方なく舌打ちすら胸中に留め、機体の移動に専念することにした。
牽制にEOを射出し、リニアを上空に振り上げながら、
(そういや、この機体も同じくらいインチキだったけ・・・)
と思い至った。
次いで「D.S.S.」に思考が行き、突然襲った頭痛に顔をしかめ、反応が遅れ、右肩に被弾した。誤作動を起こしたマニピュレーターがトリガーを引き、一応サイトのセンターに入っていたウロボロスに弾が飛ぶ。滞空中で動きが鈍っていたウロボロスの脚部に命中したが、厚い装甲板の一部が欠損しただけだった。
再度ウロボロスに照準され、マガジンに残っているもう一発の弾丸が吐き出される。
(そう何発も食らってられるかよっ)
かろうじて隣のビルを盾にすることができた。コンクリート片が弾けて街灯の上に振りかかり、鉄がひしゃげる音が聞こえた気がした。というのも、すぐさまコンクリートが地に落ちた轟音と煙が全て覆い隠してしまったからだが。
今の一撃で既に腕部の照準精度が下がっていた。見ると肩の装甲は半ば剥がれ落ち、ルリも正常な稼動は見込めそうもなかった。
(さて、どうするか。正攻法じゃ勝てねぇ・・・となると、やっぱり“D.S.S.”しか・・・)
しかしあれは青い力場に有効というだけであって、実際どのような効果を機体に及ぼすシステムなのかがわからない。たとえ起動できたとして、本当に勝てるのだろうか?
―――なぁ、どうなんだ?サヤ。
警告音が止まらないコクピットは・・・静かだった。


それから5分。ネームレスヴァイパーは未だ健在だったが、損傷の度合いは深まっていた。普段なら絶対やらないような凡ミスをいくつもやったし、自分でも動きが固いのが分かる。
破損した左膝も酷使せざるを得ず、被害状況は現在進行形で悪化している。右肩の装甲はビルの角にルリをひっかけてしまい、一緒に弾け飛んでいた。凡ミスのひとつだ。
左肩のルリだけでは妨害の効果も薄く、膝の損傷で切り返しが鈍くなっていたせいもある。二発のマイクロミサイルの直撃を受けた右腕はほぼ機能停止状態。使い物にならなくなったリニアは捨てた。そうこうしている内に左のルリも何かにぶつけたか破損してしまい、コアの迎撃用の弾も底をついた。
EOに至っては、オービットそのものをスナイパーライフルで撃ち抜かれてしまった。残ったミサイルで牽制を続けて何とか距離を離すことには成功したが、追い込まれているという点では何も変わっていなかった。
だが一つだけ収穫があった。窮状に追い込まれれば、確かに思考は冷えるが、それは完全ではない。
サヤという絶対的な安心感があってこそ得られるもの・・・彼女が後ろにいるという確信無くして引き出すことはできないのだ、と。
しかし収穫はそれだけで、ゲリオンで一発逆転を狙うしかなくなったという事実が突きつけられた。射線の確保のために他より少しだけ高いビルに飛び乗り、膝を折ってゲリオンの発射体勢を整える。
そのままの体勢でミサイルを選択し、もう彼我の距離が余りないことを確認しつつ建物越しにロックしていく。これを撃てば残弾がゼロになる。トリガーにかけた指は細かく振るえて今にも発射してしまいそうで、落ち着けと何度言い聞かせても無駄だった。
ロック完了を告げる電子音が鋭く耳に突き刺さる。
(これはあくまでも牽制だ)
そう割り切っていてるつもりでも「次のゲリオンで仕留められるのか」という無意識の自問が「仕留められる」という自信と拮抗していた。
狙った通りの距離が確保できれば勝てる。・・・本当に確保できるのか?
見当違いな移動先を予測していなければ勝てる。・・・本当に外れていないのか?
次々に湧き上がるネガティブな思考を強めの舌打ちで一掃し、発射のタイミングを探る。
レーダーの光点が、黄色から徐々に橙へと変色していく。
「撃てよ」
自然と出た、しかしどこか脅迫めいた自分の声のおかげで何とかトリガーを引き絞ることができた。即座に選択武装をゲリオンにチェンジする。
くぐもった爆音を残して6発のミサイルが比較的耐久力の低そうなビルを覆うように殺到し、先ほど燻り出したのと同じような状況を作り出した。
しかし、ウロボロスは何を思ったかやや後方に上昇してビルの影からその黒い威容を晒した。
(しくじった・・・)
ミサイルはことごとくそのビルに急角度で突き刺さっていった。大きな穴を穿ち、最終的に倒壊させる所までいった。濛々と立ち込めた灰色の煙が隠しているが、そこには恐らくデコイが浮遊していることだろう。
遮蔽物の裏に隠したデコイは、その遮蔽物が破壊されるまで有効―――完全に失念していた。
予定よりは距離が開いた上に目標は砂煙に隠れてしまったが・・・幸いゲリオンはロックを継続していた。相性がひどく悪いFCSなので最適化されているとは言えサイトは非常に小さい。それでも継続していたのは奇跡に近い。
先ほどよりも力強く、操縦桿ごと握り潰さんとするかのようにしてゲリオンを発射した。天井の照明も視線の先にあった薄い灰色の壁も消えて、一瞬視界が完全に緑で支配される。反動を受け止めた脚部が悲鳴を上げ、右はともかく損傷の激しい左が格別嫌な音を立てた。
すでに薄くなりかけていた灰色の壁を切り裂いて直進した先には、上昇を始めたウロボロスがいた。その右腕の先の銃口はこちらを見据えており、まずいと思った時には発砲されていた。
ゲリオンはウロボロスの右膝の辺りに着弾した。どんなに頑丈な脚部でも、キャノンが入れば破壊されるのは当然だ。ウロボロスの右脚が冗談のように軽く宙を舞い、横のビルにつま先から蹴りを入れてそのまま突き刺さる。続いた緑色の爆圧で激しくウロボロスの重心はブレたが、それでも同じ目線の高さを維持した。
ネームレスヴァイパーにも衝撃が走る。何とか機体を制御して射撃体勢を維持したが、機体が左に傾いていた。
右腕が、肩口から綺麗さっぱり無くなっている。
ほんの僅かな滞空時間の後、すでにボロボロだった腕は屋上に轟音を伴って着地した。同時にくぐもった独特の発射音。
慌てて視線を戻した時には、既にミサイルが発射されていた。もう何度も目にした、13発で1発のミサイルだ。
やたらとスローモーションに見える。ゆっくりと、白い尾を曳く巨大な蛇のような塊が視界に広がってゆく。
ただでさえ反応の悪かった左足が、先のゲリオン発射の反動で屋上にめり込んでしまって身動きが取れない今、状況は絶望的だった。
結局勝てなかった。
「D.S.S.」は起動できなかったし、まともな損害も今吹き飛ばした脚だけだ。ひとつひとつの行動が一瞬にして脳内で再生されてうんざりするほどの「あの時こうしていれば」が押し寄せてくる。
奥歯がぎりっと音を立て、最期の抵抗を試みようとゲリオンの再照準して迫る白蛇を

―――最期、だと?だから「約束」があるっての。だいたい・・・白蛇は俺の専売特許だっ!!

頭蓋の中心を撃ち抜く強烈な痛みと、鼻腔をくすぐるようなやわらかい香り。今気がついた。あるかないかのこの香りは、スミレだ―――
熱く爛れ、同時に凍えてもいた思考回路が灼き切れ―――繋がった。
右腕の感覚が肩口から無くなり、左膝から下に意識が飛ぶほどの痛みが走る。その痛みのせいか、代わりに五感が異常なまでに冴え渡る。
視界の端でその色を淡い桃色に変えたコンソールパネルを確認するまでもない。
『D.S.S. 起動』
待ち望んでいた、清流のように澄んだ声音に安堵感を覚える。しかし表情は緩めず、それどころか凶悪な殺意を視線に載せて放った。
もうミサイルまでの距離はほとんどない。それはつまり、十分に引きつけた、ということだ。
激痛が続く左足も無理矢理動かして両足でペダルを蹴り込む。
背面のスラスターは限界を超えて開かれ、爆音が轟いて屋上を溶かすほどの炎が吹き荒れる。左脚は膝から先がへし折れてだらりと垂れ下がってしまっていたが、もう、関係ない。
蒼白い業火を翼のように広げてネームレスヴァイパーは飛翔した。損傷の激しい機体の各所から一斉にエラーが発生し、コンソールパネルが赤く染まる。それにもかまわず、一直線にウロボロスへと翔ける。
通常ではあり得ない、オーバードブーストにも匹敵する強烈なGが体をシートに押し付けるが、

「おおおおおおっ!!」

獣の雄叫びを上げてそれに耐える。肺の空気を全て吐き出し、それでもなお叫び続ける。
直後に目標を完全にロストしたミサイルがビルに突っ込んだ。まるで紙くずのように潰れ、鉄骨諸共四散した。
そのビルが崩壊する轟音に紛れるようにしてウロボロスの手にした銃が吼える。
自然と左腕が掲げられ、タロスのシールド面が高速弾を受け止めて火花を散らした。弾道が見えたはずも無いが、来る場所が始めから分かっていたかのような正確な動きだった。
同じ青い炎を吹かし、ウロボロスはヘリポートのあるビルの屋上に着地した。こちらと同じように片足の膝から下がないのでどんなにうまく着地しても機体は大きく揺らぐ。それでも銃身がこちらを向いたままなのは、さすがと言った所か。
『ゲリオン充填率、300%』
左肩で発射形態を維持したままのゲリオンが薄くグリーンのヴェールを纏い、自壊寸前のエネルギーを溜め込んでいる。
「動け」
短く―ブースターの轟音で自分にも聞こえなかったが―体に命じる。それで十分だった。感覚がぷっつりと切れたように動かなかった右腕に確固たる意志が宿り、操縦桿を握り締めている手に再び力がこもる。逆に、神経を剥き出しにしたような痛みが続いていた左足の痛覚が遮断された。
感覚が戻った右腕は、何のためらいもなくトリガーを引いた。
白に限りなく近い超高出力のエネルギー弾がゲリオンの発射口を引き裂きながら発射され、反動で機体が揺れる前にゲリオンが、ついでに弾切れのニンフもパージされる。視覚は強烈な光で塗り潰され、聴覚は発射時の凄まじい波動に圧されて、両者とも一時的にその機能を麻痺させられた。
通常の三発分に相当するエネルギーを内包した極太のエネルギー弾は正面から放たれたスナイパーライフルの弾丸を容易く飲み込んだ。そしてその一瞬後には、後退してビルの陰に隠れかけていたウロボロスに炸裂した。正常に戻りかけていた目と耳に、再び弾けた閃光と爆音が突き刺さる。
段違いの熱に焼かれて、削れたビルの表面はガラス状に融解。その向こうに右半身が消し飛んだウロボロスの姿が確認できた。確認できたのだが・・・。
どういうわけか、空中に静止している。ブースターの火は見えない。
破損したパーツから火花が散るでもなく、ただゲリオンが直撃したその瞬間だけを切り取ったような奇妙な光景だった。
『このシステムはかつて行われていたヒトと機械の融合を目指したプロジェクトの成果だ』
崩れ落ちるようにして広場に着地した直後、状況を完全に無視した平板な声がコクピットに・・・いや、頭に直接流れ込んでくる。その感覚は決して気持ちのいいものではなく、むしろ吐き気を催すような嫌悪感が込み上げてくる。
『ヒトと機械を完全に融合させることなくチップを使ってリンクさせることで、機体を乗り換えても同じ力が発揮できるというアドバンテージを得た。完全に融合させた機体よりも稼働時間や信頼面で劣るが、汎用性が重要視されるACにおいてその利点は大きい』
声が届く度に脳が攪拌されたように揺れ、その中心で疼く何かが感じられた。薄々、それが何であるかには気がつき始めている。
右腕と左脚の異常はいつの間にか消えていて、頭の方の不快感をどうにかするために目を閉じた。意識を頭に集中させ、徐々にその不快感を取り除いてゆく。
『クスリによって造られた“強化人間”でなければ肉体的にも精神的にもこのシステムには耐えられない。起動するだけでもかなりの生体エネルギーを消費する上、擬似神経を形成するせいで機体が受けたダメージがパイロットにフィードバックされる。そのような状況でなお戦闘行為を続行できる者など、そうそう居はしない』
そこで一拍、間が空いた。ふと瞼を開けると、ある意味では予想通りの光景が広がっていた。
正面に静かに佇む、目立つ色調の機体。ウロボロスとは似ても似つかない、それはエニーのトミーロットだ。一歩も移動していない、そこはガレージだった。
『・・・俺やお前のように、兵器として訓練されてきた特異な人種以外にはな』
不意に視野が狭まり、意識が混濁してゆく。全身を包み込む倦怠感と、酷使された体の各所から今更脳に届いた痛み。それらが全力で意識の手綱を引き剥がそうとするかのようだ。
『大丈夫ですか、シース』
暖かく柔らかな、少なくとも今のシースにはそう聞こえたサヤの電子音声。それがかろうじて意識を繋ぎ止めた。
(あー、ダメかも)
口を動かすのも億劫で、聞こえるはずの無い心の声で応答して、シースは瞳を再び閉じた。
それから最後に耳に、脳内にではなく本当に耳に届いた言葉は、
「お疲れ様」
電子音声ではない所か、耳元で囁かれたような気がしたが―――気のせいということに、しておこう。


『どうして彼に教えたんですか』
声はいつも通り平静を装っていたが、質問を通り越して詰問口調になってしまっていた。聞きようによっては、拗ねているように聞こえなくもない。
『彼自身が望んだことだ』
変わらず平らな声が短く、恐ろしく簡潔に応える。
『こうなることを見越していたと思うとつくづく空恐ろしい男だ、彼は』
感情の読み取れない声ではあったが、尊敬や畏怖といった類の感情が微かに見え隠れする。
『戦闘において剥き出しの闘争本能を相手にぶつけながら、同じだけ鋭利な思考ができる。ただでさえ別枠で鍛えられた特務部隊・・・その中でさらに選抜された最精鋭のチーム“インテンシファイ”のメンバーの中でも、彼は頭抜けていた。敵はもちろん・・・味方からも恐れられていた』
淡々と、過去を懐かしむ風でもなく言葉が紡がれる。
『“あいつが守れるんなら鬼でも悪魔でもかまいやしねぇ。邪魔する奴は全部ぶっ潰す”彼の言葉だ。最近になってその心境が、少し理解できた』
『彼は、私が守ります』
『・・・』
『彼はもう十分に傷ついた。今度は私が傷つく番です』
半分は自分に向けた、確認のための言葉だった。
『約束は果たした。俺から言うことはもうない。だが・・・ひとつだけ忘れるな』
『・・・』
『彼を守るために傷ついたお前を見て、彼がそれ以上に傷つくということを、な。これも最近になってようやく理解できた』
コクピットに収まり、かなり無理な体勢で眠っている彼の体が身じろぎする。
『それでも・・・それでも私は』
意地を張っているのではない。そんな陳腐な感情を超越した決意だ。少なくとも私はそのつもりだ。
『彼を・・・守ります。彼がかつてそうしてくれたように―――』




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「・・・ちょっと?」
「ん、どかした?姐さん」
「この話、前に三章で終わるって言ってたわよね?」
「うーん、そういえば言ってた気もするね。それがどうかした?」
「マジメに考えてみなさい、エニー。あと一章で終わるとしたら、いったい次は何ページなのよっ」
「あいだだだだだだ、姐さん、痛いから、痛いからっ。・・・ふぅ。でも確かにそうだね」
「今回だって、ワード換算で30ページ越えてるクセして前回からたったの数時間しか経過してないし。こんなペースじゃ、私たちが出撃する場面で終わりかねないじゃない」
「うわー・・・そんな某少年誌の打ち切りみたいなのはやだな・・・」
「でしょ?」
「もしかして最初から出撃シーンで終わる予定だった、とか?」
「そもそもこの小説のコンセプトが“中途半端に終わりやがったファッ○ン・NXを何でもいいから俺の納得できる形で終わらせてやる”っていう作者の陰謀なんだから、それはないでしょ」
「随分とヘボい陰謀だな・・・」
「まぁね」
「あーもしかして」
「何?」
「いや、タイトルだけ変えて第二章継続・・・とかやるつもりかも知れないなぁ、と思っただがはっ!?」
「あらどうしたの、エニー。頭からドクドク血なんか流しちゃって」
「今、何かひどく物騒なモノが後頭部に炸裂した気がするよ・・・姐さん」
「あら、何かし、らっ」
「それっ、それだからっ!!姐さんが手にしてる釘バッどぅおわぁ!?」
「先を読み過ぎた者は全てを壊す」
「姐さん、キャラ違っ」
「あんたもその一人よ」
「じゃあまさかマジでタイトルだけ変えてっ!?」
「知り過ぎたのよ、あんたはねっ!!」
「キャラ混じってるしっ!?」
「消えなさい、イレギュラー」
「さらに混じっ・・・くっ、避け切れな―――」
「大き過ぎる・・・。修正が必要ね」
「はぁはぁ・・・つか、そもそもこの、話振って・・・きたのは姐さんの方・・・」
「・・・認めるわ、あんたの力を。今この瞬間からあんたはデスフラグ持ちよ」
「結局わけわかんねぇし・・・って、俺死ぬのっ!?!?」
※デスフラグ:話の展開的に、死ぬ運命にあること。
※※基本的に誰も殺す予定はありません。ご安心ください。
作者:クロービスさん